夫として、父として

伊勢志摩サミットの開催を控えて、東京都内も厳重警戒だ。

土曜・日曜は休みだったので、いつ撤去されたか分からないのだが
派遣先の最寄り駅構内からゴミ箱がなくなっていた。

あ〜ん、不便。まぁ、ターミナル駅のように警察官が立っていること
はないけどね。

『新編 愛情はふる星のごとく』(尾崎秀美/今井清一:編  岩波現代文庫
読了。

日本史上最大のスパイ事件とも形容されるゾルゲ事件連座し、逮捕・
投獄された尾崎秀美。新聞記者であり、評論家であり、近衛政権では
ブレーンでもあった尾崎。

彼が獄中から妻・英子と一人娘・楊子へ宛てて書き綴った手紙を収録し
たのが本書である。

日本を共産主義者へ売ろうとした男。共産主義者のスパイが裏の顔で
あるのなら、表は夫として、父としての顔だろう。

逮捕されるまで、尾崎は自身の使命を家族にも秘していた。だから余計
に自身が逮捕された後の母娘の生活を気遣っている。

日々苦しくなるであろう戦時下の暮らしにどう対処するか。疎開をするな
らどこが適当か。処分する家財とその方法など、事細かに綴っている。

治安維持法の下での逮捕・投獄だ。獄中から出される手紙には当然の
ように検閲があったろう。だから、自身の罪についての詳細は記されて
いない。

毎回のように書かれているのは読んだ本のこと、食べ物のこと、きっと
こういう話であれば、当たり障りがなかったのだろうな。

そして、13歳で別れを余儀なくされた一人娘・楊子の学業へのアドバイス
と、楊子が尾崎へ送った手紙やはがきの誤字・脱字の指摘。これもまた、
父親としての愛情の表れなのだろう。

「死をもって国民に詫びよ」

死刑判決を言い渡した裁判長は、尾崎にそう言った。刑が執行されたの
昭和19年11月7日。その朝、尾崎が綴ったはがきは、彼の死後2〜3日
後に英子夫人の元に届けられた。

この獄中書簡集を読んで驚く。尾崎の広範な知識と、分析能力の高さに
だ。ゾルゲ事件が露見するまでにも尾崎の評論は高い評価を受けてい
た。もし、違う時代に生まれていたらスパイとしてではなく、学者か評論
家として歴史に名を留めていたかもしれない。

敗戦まで、尾崎を生かしておくことは出来なかったのだろうな。生きていた
のなら、戦後、彼はどんな道を歩んだのだろう。