生きた証は確かにあった
『兄の終い』(村井理子 CCCメディアハウス)読了。
始まりは見知らぬ電話番号からの着信だった。声の主は著者に
告げる。
「お兄様のご遺体が、本日午後、多賀城市内で発見されました」
確執もあり、疎遠になっていた兄の死を知らせる警察官からの
電話ですべてが始まった。父も、母も、既にこの世にいない。
妹である著者は、「兄の終い」の為に住まいのある滋賀県から
宮城県多賀城市へ向かう。
と、書くと非常に重い内容だと感じるかもしれない。否、死後の
整理なのだから重いのには変わらないのだ。だが、著者の筆致と、
著者と共に「兄の終い」を共同作業する元妻の気立ての良さが
相まってぐんぐんと読ませる。
私事になるが、20年近く音信不通だった身内がいる。家族に迷惑を
かけた上での失踪だった為、当初は「頼むから死んでくれ」とまで
思った。もし、著者の兄のように亡くなっていたら、私はどうした
だろう…と考えてしまった。幸い(?)現在は居所も分かり、連絡
も取り合っているが…。
荷物が溢れ、油とほこりにまみれたアパートで兄の残したものを
次々とゴミ袋に放り込んでいるうちに、著者は履歴書を見つける。
その志望動機の欄には真面目過ぎるほどの文章が連ねられていた。
離婚した際に親権を得た息子との二人暮らし。体を壊し、生活保護
を受け、貧困から這い上がることなく、誰にも看取られずに死んだ
兄。だが、その部屋には、どうにか生活を立て直そうとしていた
兄の、生きた証があった。
久し振りに一気読みした作品。笑って、泣いて、考えさせられる
作品だった。