中立であれという幻想

桜の開花宣言が出たのに寒いこと。花冷えってやつだろうな。
でも、しばらくこの寒さが続くようなら来月の入園・入学の頃まで
桜が持つかもしれないね。

『戦争報道 メディアの大罪 ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしな
かったのか』(ピーター・ブロック ダイヤモンド社)読了。

「ヨーロッパの火薬庫」という言葉を若い世代が知らなかったことに愕然
としたのは数年前。もう学校では習わないのかしらね。

閑話休題

ユーゴスラビアである。第二次世界大戦ではパルチザンがイタリアと
ナチスに抵抗し、独立を勝ち取り、戦後は圧倒的なカリスマ性を持つ
チトー終身大統領によって率いられた国。

冷戦時代、東側陣営でありながら東欧諸国のようにソ連の衛星国には
ならず独自の社会主義国家を作り上げ、融和政策によって統一された
多民族国家だった。

だが、それはチトーの死によって崩壊する。スロベニア独立に伴うスロ
べニア共和国軍と連邦軍の衝突から始まり、セイルビア人勢力とクロ
アチア共和国軍との間で起きたクロアチア内戦。そしてクロアチア人、
ムスリム人、セイルビア人の対立が激化したボスニア内戦。

ユーゴ内戦を扱った作品は何冊か読んだけれど、いつもつまずく。これが
民族紛争の複雑さなのかと思う。

非常に理解しづらいのだ。だから、理解しやすくする為には善玉vs悪玉
の構図を作り上げるのが手っ取り早い。ユーゴ内戦で悪玉とされたのは
セイルビア人だ。

この「セルビア人悪玉説」がどのように生まれたのかのは高木徹『戦争
広告代理店』(講談社文庫)に詳しい。本書は欧米の報道機関がばら
撒いたセイルビア人を一方的に避難する報道の検証である。

途轍もない作業だ。大量の配信記事を分析し、記事が書かれた背景を
探り、書いた記者たちに取材する。記事は事実を歪曲したばかりか、
捏造されていた。

ユーゴスラビア内で使用される言語を理解せず、英語を話す人々だけ
に取材をし、民族浄化や大量虐殺の班員だとしてセイルビア人のみを
非難する記事の数々。既に覚えてはないのだが、日本の報道も欧米
の報道をなぞっていたのではないのか。

セルビア人に殺害されたという天文学的な犠牲者の数。しかし、それに
見合う遺体や遺骨はどこにある?セルビア人だけが虐殺の犯人か?
クロアチア人やムスリム人は加害者ではなかったと?

そんなことはない。クロアチア人もムスリム人も、昨日までの隣人を手に
かけているではないか。

『戦争広告代理店』が取り上げたアメリカのPR会社の戦略に、メディア
が乗っかったのではないのかな。

「メディアは中立であれ」。多分、それは幻想なのだと思う。人間が取材し、
報道するのだから必ず主観が入り込む。但し、そこにどれだけ客観的な
視点を維持できるかが問題なんだと思う。

事実はひとつ。でも、真実は人の数だけあるんだから。