ファンタジーのような戦争文学

どうやら期限は明日の午後2時台らしい。イスラム国に拘束され、
殺害予告の出た日本人ふたりの命の期限だ。

どうすんだろうね、日本政府。この際、拘束経験のあるジャーナリスト
だろうが、元大学教授のイスラム学者だろうが、交渉の窓口になって
もらえばいいのに。

日本は中東に独自のパイプってあるんだろうか。う〜ん…。

『その日東京駅五時二十五分発』(西川美和 新潮文庫)読了。

「ぼく」は飛行機乗りになりたかった。でも、飛行機乗りになる
には体が小さかった。中学を卒業し、家業の農業を手伝っていた
「ぼく」に召集令状が来た。

陸軍情報部の通信兵としての訓練が、東京・清瀬市で始まった。
飛行機乗りにはなれなかったけれど、通信兵として戦争に係わる
ことになった。

通信兵としての訓練を始めて3か月後のある日。暗号表や通信
機器を燃やせとの命令を受ける。そして、襟章や軍人手帳も。

隊の解散だった。各自、幾ばくかの現金を与えられ、故郷へ
戻るよう言われた。

そして、その日、東京駅5時25分発の汽車に乗り、「ぼく」は
隊で一緒だった益岡と共に西を目指した。

戦時中、著者の伯父が体験し手記にしたためた内容をベースに
小説として発表したのが本書である。

戦争文学というジャンルがある。そこには勿論、先の大戦
日本が体験したことを綴った作品が多くある。前線の兵士
たちの体験であったり、東京大空襲の阿鼻叫喚であったり、
広島・長崎への原爆投下による地獄絵図であったり。

怒りが、悲しみが、恐怖が、憤りが綴られた小説群とは
一線を画した作品だ。

戦争文学としては紙数が非常に少ない。そぎ落とされた文章
は、それでも戦争の虚しさを伝えてくれる。

物語は西へ向かう汽車の中で進む。故郷へ向かう「ぼく」の
回想と、「その日」が交互に綴られている。

西へ進む汽車のなかから見たひとつの光景。停車中の汽車
から見えたのは、駐在所に続々と人が集まって来る様子
だった。

多分、それは昭和天皇玉音放送を聞きに集まって来た
人々だったのだろう。1945年8月15日。「ぼく」は戦場
で銃を構えることもなく、召集されてわずか3か月で
終戦を迎えたのだ。

感情に走ることなく、淡々と綴られた文章はじわっと心に
広がって行くようだ。これは新しいタイプの戦争文学なの
かもしれない。

「ぼく」が帰り着いたのは、8月6日に原子爆弾に焼かれた
広島だった。