失われた二十世紀の十字架

帰宅して着替えてテレビを点けたら、いきなり緊急地震速報である。
げげ…旦那は留守だし、どうしよう。取り敢えずはソファにしがみ
ついて身構える。

30秒数えても揺れが来ない。あれ?でも、テレビ画面には「奈良で
地震」って出ているぞ。それなのに関東までって、東日本大震災
クラスか。

ほどなく誤報だったことが判明した。近畿のJRなどは一時運転停止
で大変だったようだが、大地震じゃなかったのでよしとしようか。

ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(高瀬毅 文春文庫)
読了。

広島と長崎。世界広しといえども、原子爆弾という人間が作り出した
悪魔の兵器の犠牲になった稀有な都市。

同じ被爆地だけれど、広島と長崎では何かが違うと感じていた。
それが本書のタイトルで腑に落ちた。

そう、広島には原爆の悲惨さを今に伝える原爆ドームがあるが、
長崎には平和祈念像はあるものの当時の姿のまま保存されて
いる建物がない。

否、長崎にもあったのだ。爆心地にほど近い場所にあった浦上
天主堂の廃墟だ。原爆の記憶を留める天主堂の廃墟は、当初は
保存の方向で検討され、長崎市長自らが保存方法について
研究するよう指示を出している。

だが、ある時から市長は廃墟解体へ舵を切る。アメリカから唐突
に持ち込まれた長崎市アメリカ・セントポールとの姉妹都市提携
の話。そして、それに基づく市長の渡米。

一体、何が市長の心を変えたのか。原爆投下を正当化して来た
アメリカの圧力があったのではないか。著者はアメリカに渡り、
公文書館で資料を掘り起こし、天主堂廃墟解体の謎を追う。

廃墟保存から一転、解体派となった長崎市長の発言の変遷や、
姉妹都市提携と市長の訪米の経緯を追った部分はまるで
ミステリーを読んでいるようである。

原爆の記憶を消したいアメリカの大きな力が働いたのではないか
と、陰謀論紙一重に考えに取りつかれそうだが著者が断定して
いないところがいい。

衝撃的な話もいくつかあった。アメリカの聖職者が来日の折り、
原爆投下について謝罪したところ、アメリカへ帰国後に司祭の
地位を剥奪されたそうだ。そこまでするか、アメリカ。

そして、アメリカでの長崎市長のインタビュー記事には目を疑った。
何度も読み返した。「広島は原爆を政治的に利用している」との
批判だ。同じ被爆地の市長が何故?一体、彼に何があったと
いうのか。

浦上の聖者と言われた永井隆の主張への疑問、キリシタン
村としての浦上の歴史、天主堂建立までの苦難等も盛り込まれ、
日本の都市のなかでも特殊な歴史を歩んで来た長崎が背負って
来たものが分かりやすく書かれている。

「もう教会が結論を下したからしょうがない、むこうが建てるという
のだからしょうがない、そういう消極的な態度ではなくしてこれを
単に長崎の観光地というけちな考えで残そうというのではなく、
全人類の二十世紀の十字架として、キリストのあの偶像が犠牲
性のシンボルであるならば──二千年前の犠牲のシンボルで
あるならば、私はこの廃墟の瓦礫は二十世紀の戦争の愚かさ
を表象sる犠牲の瓦礫である、十字架であるとそういう意味に
おいて、唯物的な考えから申せば、市長がさきほどももうされ
ましたように、そう大して残すほどのことではありませんが。
しかし、精神的に長崎を訪れる各国の人たちが、一瞬襟を
正して原爆の過去を思うその峻厳な気持を尊ぶ原爆の資料
だと信じております」

廃墟解体を主張する市長に対し、保存を強硬に主張する市会
議員の訴えだ。

二十世紀の十字架。原爆で破壊された廃墟は解体され、
浦上天主堂は再建された。広島の原爆ドームのように
天主堂の廃墟が残されていたら、長崎の取り上げられ方は
少々違っていたのかもしれない。