何が起きたのか、伝えようとしていた

「もともと国際連盟を作ったのはどこだった?国際連盟アメリカが
作ったんですよ。出来上がりました、どこが入らなかったか、アメリ
ですよ。その程度の国だと思っています」

アメリカ・トランプ大統領のパリ協定離脱を受けての、麻生太郎
コメント。きゃ〜、久し振りに格好いいじゃん、太郎。

そして、山本環境相の憤りを露わにした会見もよかった。アメリカを
批判できる大臣がいるんですけど、この人たちのボスはコメントなし
なのかな?

ヒロシマはどう記録されたか 上 昭和二十年八月六日』(小河原正巳
 朝日文庫)読了。

1945年8月6日。一発の原子爆弾が広島の町を焼き尽くした。この日の
ことは多くの作品が書かれている。本書は広島に何が起きたのかを
確かめ、記録し、伝えようとしたジャーナリストたちの記録だ。

中心になるのはNHK広島放送局(ラジオ)と地域紙・中国新聞社である。
上巻は原爆投下当日の模様を、記者やカメラマンらの証言や手記に
基づいて再現している。

5枚の写真がある。原爆投下直後の広島市内で撮影された写真だ。
撮影者は中国新聞社の松重美人(よしと)カメラマンだ。

原爆の閃光や爆風を浴びた人たちの惨状は、プロのカメラマンさえ
正面から撮影するのをためらったほどだ。爆心地から約2kmの距離に
ある御幸橋西詰で撮影された写真は、被曝しながらも避難して来た
人々の背後から撮られている。

しかし、この写真があったことで消息不明だった息子の姿を発見した
家族がいたのだ。

広島に何が起きたのか。電話も電波も途絶したなかでどうにか状況
を伝えようとした通信社の記者がいた。彼が必死の思いで伝えた情報
は、東京の大本営に伝わった途端に握りつぶされた。

戦後、ひとりのお年寄りがNHK広島放送局にやって来た。自身で描いた
絵を持参して。それが、「あの日」、お年寄りが見た広島の光景だった。
この絵が、後々番組を作るきっかけとなる。

下手でもいい。あの日の体験を絵にして送って欲しい。そんな呼びかけに
多くの人が応えた。それまで被爆体験を胸のうちに深く閉じ込めた人たち
が、絵という手段で自身の体験を語り、画集としても出版された。

あの日を体験したメディア関係者だけではなく、戦後世代のメディア関係者
も広島を、長崎を、後世に伝えようとしているんだよね。

上巻で特に印象に残ったのはやはり松重カメラマンの残した5枚の写真
だった。そして、戦後にそこに写った人たちを探し出す力がメディアには
あるんだよね。