生きて見世物、死して標本

自警団の白人男性が、黒人少年を射殺した事件の裁判で無罪
判決が出たアメリカ。またもや人種差別問題でデモや暴動が
起きている。

この一連の事件を受けてのオバマ大統領の演説が秀逸だった。
「亡くなった少年は35年前の自分だったかもしれない」。自身が
経験した差別体験を盛り込んだ。歴史に残る演説になるかも。

『ホッテントット・ヴィーナス ある物語』(バーバラ・チェイス
=リボウ 法政大学出版局)読了。

『父さんのからだを返して』は、亡くなった父の体が知らぬうちに
骨格標本にされて、アメリカの博物館に展示されていたエス
キモーの少年の話だった。

本書は身体的特徴の為に、ヨーロッパで見世物になれたアフリカ
人女性をモデルにした小説である。

サラ・バートマン(本書ではサラ・バールトマン)。南アフリカ・東
ケープに暮らす遊牧民のコイコイ人。初めにオランダ人がやって
来た。彼ら白人はクリック音の多いコイコイ人の言葉から、「どもる
人」との蔑みを込めて、現地の人々に「ホッテントット」と名付けた。

後方に突き出た大きなお尻と、「ホッテントットのエプロン」と呼ばれる
女性器という身体的特徴が、オランダ人の次にやって来たイギリス人
には金儲けの見世物としてうってつけだった。

1810年、イギリスへ行けば大金を稼げると言いくるめられて、サラは
イギリスへと渡る。そこで待っていたのは、身体的欠損を持った人々
と一緒に見世物に供されることだった。

サラの身体的特徴を際立たせる為に、体にぴったりした薄い衣だけ
を着せられた彼女は、来る日も来る日も、白人たちの好奇の目に
晒される。「生ける野蛮」として。

白人は思い至らない。姿かたちは自分たちとは違っても、彼女には
「心」があるということを。

イギリスでの彼女の興行権を持っていた男が、フランス人との賭け
に負けたことから、サラはフランスへ渡ることになる。

そこでは更に過酷な人生を彼女を待ち受けていた。見世物にされ
たのは勿論のこと、ナポレオンの主治医に生きたまま調べられる。

現実から逃れる為か。麻薬に依存するサラは推定27歳でこの世を
去る。それでもサラの悲劇は終わらない。遺体は解剖され、骨格
標本が作られ、脳や性器はホルマリン漬けにされて1970年代
まで博物館に展示されていた。

サラが生まれ故郷の南アフリカへ戻ったのは2002年。実に192年
振りの帰還だった。

本書はあくまでもモデル小説だが、異なる存在に対する偏見に
ついて考えさせられる。今でこそ、見世物小屋はないけれど、
テレビがその役割を担っていやしないか。

生きて見世物にされ、死して標本とされたサラ。今は故郷の
立派な墓に眠っている。魂は安らかだろうか。