アジアの歌姫、もう一つの面

EU脱退を仄めかしているイギリスに対して、EUはイギリスに特権を
与えることで合意したとか。

昔日の影響力はなくても大英帝国は特別扱いだってことなんだろうか。
イギリスは移民制限してもいいよというのが盛り込まれているらしいの
だが、世界各国に移民を送り込んだ国なんだが…。

『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(有田芳生 文春文庫)
読了。

「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」等の楽曲は知っている。テレビ
の歌番組で歌っている姿も何度か目にしている。でも、テレサ・テンは私に
とっては特別な歌い手ではなかった。

それでも、彼女がタイで急死したとのニュースには驚いた記憶がある。
42歳、気管支喘息による発作だったという。

そんなテレサの最後の来日となった折りにインタビューをしていたのが
本書の著者である。「わたしのこれからの人生のテーマは中国と闘う
ことです」。台湾と中国、ふたつの祖国の間で揺れ動いたテレサは、
著者に再度のインタビューの機会を約束した。だが、彼女の急死で
約束は果たされなかった。

「中国と闘う」。それは天安門事件に衝撃を受けたテレサの決意だった
のだろうと思う。台湾と中国との関係、居を構えた香港の中国への返還
を控え、民主化を叫ぶ学生たちに中国政府が加えた弾圧にテレサ
心を痛め、学生たちの行動に共感していた。

私がテレサ・テンという個人にまったく関心がなかったせいかもしれな
いが、彼女の生い立ちからその死後までを追った本書には知らないこと
がたくさん詰まっていた。

天安門事件をきっかけとしたテレサと政治との係わりもそうだが、子供の
頃から歌の才能を開花させ、台湾や香港では「台湾の美空ひばり」と呼ば
れていたこと。そのテレサが日本デビュー後は他の新人歌手同様に扱わ
れているのを見て、香港からやって来たリンリン・ランラン(懐かしい〜)が
「どうしてアグネス・チャンに個室が与えられてテレサさんはわたしたちと
同じ控室なんですか」と驚き、テレサが姿を見せると興奮してサインを
お願いしたこと。

そして、やはり一番気になるのは彼女の死の真相だ。急死であったことも
あり、日本のメディアでは謀殺説が多く語られていた。曰く、テレサはスパイ
だったから口を封じられた等々。

それらの説には根拠がなかったのだろうと思う。否、テレサがスパイで
謀殺されたことにしておけば、誰かが得をしたのかもしれない。金銭的
にね。

発作による急死。それが本当なのだろうと思う。亡くなる前から彼女と
生活を共にしていた14歳年下のフランス人男性の行動には不可解な
部分もあるけれど。ほとんどテレサのヒモのような生活をしていたらしい
が、彼と一緒にいることで幸せであったのならいいんだけど。

もし、天安門事件がなかったらテレサ・テンにはこう少し違った人生が
あったかもしれないと思うとちょっと切ない。自分で作った歌を歌いたい
と思っていた願いも叶ったかもしれないものね。

中国国内での民主化運動に共鳴して開催されたコンサートでテレサ・テン
が歌った「私の家は山の向こう」の日本語訳を以下に掲載する。この歌
を歌ったのは1回だけだそうだ。

私の家は山の向こう
そこには豊かな森があり
そこには果てしない草原がある
春には稲や麦の種を播き
秋には刈り取り新年を待つ
張おじさんは愁いなく
李おばさんはどこまでも楽天
ヤオトンから狸鼠が出てきてからは
全てがすっかり様変わり
それは深々と埋もれていた白骨を喰らい
人間的な善良を毒とした
私の家は山の向こう
張おじさんは喜びを失い
李おばさんは笑顔をしまいこんだ
鳥は暖かな巣を飛び立ち
春は冷え冷えとした冬へと変わった
親しい友らは自由を失い
麗しい団欒を捨て去った
友よ一時の歓楽を貪るなかれ
友よ一時の安逸を貪るなかれ
できるだけ早く帰って
民主の火を燃やそうよ
私たちの育った所を忘れちゃいけない
それは山の向こう
山の向こうなの