コレクションの行き付く先は

ほほぅ。JOC竹田会長がフランス当局の予審判事の事情聴取を
受けるにあたって提出したJOCの報告書が一部黒塗りでしたか。

日本国内じゃ当たり前のことだからって黒塗りにしたのかしら?
フランスの捜査、舐めてるだろうJOC

『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(紀田順一郎
 松籟社)読了。

実はこの週末、実家に溜め込んだ本を整理していた。旧作・新作を
問わずノンフィクションばかりを読んでいるので、リサイクル書店
には売れないので、ネットで探し当てたノンフィクションに強い
古書店に買い取りを依頼した。

読み終わった本は手元に置いておきたいので、極力、図書館は利用
せずに自分で購入するようにしている。だが、よくよく考えると
私に万一のことがあった場合、わずかばかりではあるが溜め込んだ
本を受け継ぐ者がいないのだ。

なので、近年はある程度本棚から溢れそうになるとせっせと処分
するようにしている。でも、やっぱり未練は残るのよね。

ただの読書好きでもこの始末。それが研究者や著述家となったら、
蔵書の処分は断腸の思いだろう。

逃れられない老い。共に老いた妻とふたりの年齢に相応しい暮らしの
為に3万冊の蔵書を600冊にまで減らさなければならなくなった著者
の体験談と、蔵書に関する考察が本書である。

切ないわぁ。あの紀田氏さえ長年愛蔵した蔵書の生前整理をしなくて
はならないなんて。そりゃ、蔵書を積んだトラックを見送る際に足元
がマシュマロのように柔らかくなり、路上に崩れ落ちちゃうわよ。

戦前整理でなくとも研究者や著述家が亡くなると、残された家族に
とっては大量の蔵書をどうするかの問題が持ち上がる。

一括して引き受け、保存・閲覧に供してくれる施設があればいいのだ
が、現在の日本では相当に難しいという話に「この国は文化衰退国
だな」と感じた。

本にしろ、DVDやCDにしろ、フィギュアなどにしろ、集めた本人
以外には「ゴミ」でしかなんだよな。蔵書も含め、コレクションは
すべて一代限りなのかもしれない。