捨てる勇気

昨日は神田ふるほん祭りの作品社をはじめとしたワゴンセール
で、財布は軽くなったけれど背負ったリュックの重さに幸せ
を感じて還って来た。

さぁ、今日はネット買い取りしてくれる古書店へ処分する書籍を
送る為の梱包作業の1日である。

一応、先方からは段ボール箱を6ケース送ってもらったので、まずは
半分の3個を並べて本を詰めて行く。

しかし、これがなかなか上手に入らない。単行本・ソフトカバー・
新書・文庫・大型本をどのように組み合わせてもどうしても妙な
隙間が出来てしまう。

書庫と玄関先を本を抱えて往復し、試行錯誤しながら6ケースすべてを
詰め終えたら、4時間くらいかかっていた。まぁ、取りあえず無事に
詰め終えて一安心。

あとは明日の午前中に宅配業者が引き取りに来てくれるのを待つだけ。
荷物が重くて申し訳ない気がする…。

それにしても、家の中を往復していただけで足腰が痛いってのは、普段、
どれだけ運動不足かってことだな。トホホ。

引き続き『天人 深代惇郎と新聞の時代』(後藤正治 講談社)を
読む。

う〜ん、本書の内容は思っていたのと違うわ。なので、本書で引用
されている深代惇郎の社説の一部を以下に写す。

「 三島由紀夫の芝居は、割腹自殺によって完結した。彼自身が、実は、
彼の最後の創作だった。彼の描きたかった人間に、彼自身がなったという
意味では、みごとな完結ぶりだったともいえるだろう。
 彼の死がこのような結末をみることは当然の帰結だったと思う。だが、
彼の哲学がどのようなものであるかと理解できたとしても、その行動は
決して許されるべきではない。彼の政治哲学には、天皇や貴族はあっても、
民衆はいない。彼の暴力是認には、民主主義の理念とは到底あいいれぬ
ごう慢な精神がある。民衆は、彼の自己顕示欲のための小道具ではない。
人々は、おたがいの運命を自分自身の手でつくり上げるために、苦しみ、
傷つきながら、民主主義を育てているのである。
 彼は、現在の経済繁栄の空虚さと同義の退廃を怒り「凡庸な平和」を
ののしってきた。荒れ野指摘してきた事実が、われわれの社会に存在する
ことを認めよう。しかし、それを解決する道が彼の実行した直接行動で
はないことを、歴史はくり返し、われわれに教えつづけてきたのではな
かったか。民主主義とは、文士劇のもてあろぶ舞台ではない。」

深代氏のこの文章は初めて読んだ。なんと見事な批評になっていることか。