外骨、沈黙の5年間

昨夜、野中広務氏が京都のホテルで倒れて救急搬送されたらしい。
一時、意識不明だったようだが容態は安定しているとか。

彼のようなうるさ型の自民党OBには長生きして欲しいんだが、
既に92歳だものなぁ。う〜ん…。

『外骨戦中日記』(吉野孝雄 河出書房新社)読了。

頓智協会雑誌」で大日本帝国憲法発布をパロディ化し、ガイコツが
頓智研法発布式」を行っている絵を掲載して不敬罪。禁固3年の刑。

それ以外にも筆禍で入獄4回、罰金及び発禁は29回にも及び、明治・
隊商の時代には反藩閥政治、反官僚、反権力で言論の自由を確立し
ようとした稀有なジャーナリスト宮武外骨

私が勝手に「言論四天王」と名付けて敬愛しているひとりである。
諧謔を武器として言葉を操って権力を笑い者にしてきた外骨だった
が、太平洋戦争から敗戦までは沈黙を保った5年間があった。

外骨の甥である著者が、遺品のなかから発見したのが空白の5年間を
埋めると思われた外骨の「戦中日記」だ。

しかし、そこには荷風散人『断腸亭日乗』のような戦時下の生活の
詳細が綴られているのでもなく、清沢冽『暗黒日記』のように軍部
や政治に対する批判もない。

日付と天候、個人名、単語などが時系列に記されているだけ。著者は
この簡潔な日記から戦中の外骨の生活を読み解くと言う試みをしている。

労作であると思う。高円寺の自宅にいた頃は、既に70歳を過ぎた身で
遥々と千葉県まで食糧の買い出しに行っている。当時の交通状況を
調べ、外骨がどのようなルートで千葉県まで行き、どんなルートで
帰宅したかを推測したりしている。

そして、よく釣りをしている。本書のカバー写真もフロックコート
山高帽で釣りをしている外骨の写真なのだが、これが味があっていい。

外骨は「明治の人」との印象が強い。それは、昭和初期から軍部が
台頭したことで外骨得意の権力に対するパロディを続けていては
命までも失いかねないと感じていたからか。

筆て抵抗することを休んで、そのかわりに協力もせずに礼賛もせず、
沈黙を保つことでの抵抗であったのかもしれない。

桐生悠々のように赤貧洗うがごとく生活をしながら、反戦の文章を
綴ることも抵抗だろうし、外骨のように黙することもひとつの意思
表示だったのだろうな。

この辺りが精神論を振りかざして戦意高揚を煽った徳富蘇峰とは
対照的だ。のちに、外骨は徳富蘇峰を「戦犯」としているんだよな。

外骨さん、その昔はかんしゃく玉をさく裂させたりしていたが、近親者
のことにはとても親身なっているのが著者の日記解釈から伝わって来る。

そして、空襲警報発令の際に身を置かなければいけなかった防空壕
怖かったなんていうのは意外だ。この防空壕嫌いが疎開を決心させた
らしい。

やっぱり「過激して愛嬌あり」だわ。