彼はなぜ、黒装束の処刑人になったのか

ロシアの下院選挙はプーチン閣下の「統一ロシア」が圧勝である。
単独で3分の2の議席を獲得し、これで憲法改正もOKだ。

あれ?日本でも似たようなことが…。まぁ、ロシアは毎度のことだが
不正があるようだけれどね。

『ジハーディ・ジョンの生涯』(ロバート・バーカイク 文藝春秋)読了。

「安倍よ、お前が勝つ見込みのない戦争に参加するという無謀な
決断をしたために、この刃はケンジのみならず、いかなる場所に
おいても、引き続き日本国民を殺すだろう。つまり日本の悪夢が
始まるのだ」

2015年に日本人ジャーナリスト後藤健二氏を殺害したことを告げ、
インターネット上で公開されたイスラム国の動画の中で、黒装束
の処刑人は日本へ宣戦布告をした。

ジハーディ・ジョンと呼ばれた処刑人はこの動画を最後に公の場
から姿を消し、2015年11月12日にアメリカ軍のドローン攻撃によっ
て殺害された。

アメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリーから日本人2人の
殺害まで。常にイスラム国の動画に登場したジハーディ・ジョンとは
一体、何者であったのか。

イギリス訛りの英語を話す彼の本名はモハメド・エムワジ。イギリスで
教育を受けたクウェート移民の子だった。

ドローン攻撃による殺害後、著者はジハーディ・ジョンになる前のエム
ワジと会ったことがあることに気がつく。あのムスリムの青年が、世界
を震撼させた処刑人になっていたとは。

ひいきのサッカー・チームの選手になることを夢見た少年。信仰には
決して熱心ではなかったし、ムスリムとしての自覚を持ったのも遅かっ
た。そんなエムワジが、何故、イスラム国に参加することになったの
だろうか。

エムワジの周辺にはソマリアの過激派と繋がる者がいた。それが英国
の治安当局から目をつけられることになった。そうして始まった嫌がらせ。

証拠もなくテロリストの疑いをかけられ、治安当局のスパイになれとの
脅しをかけられる。海外旅行はことごとく妨害され、結婚さえも思うよう
に出来なくなる。

エムワジだけが特別だったのではない。何人、何十人ものイギリス在住
ムスリムの若者がテロの嫌疑をかけられ、似たような嫌がらせを受け
ていた。著者は彼らの話を聞き、当時在籍していた新聞にムスリムたち
の窮状を公表した。

一定の効果はあった。治安当局は自分たちの行いが公になったことで
嫌がらせは止まった。だったら、自分のケースも公表することで好転
するかもしれない。エムワジは一縷の望みをかけたのかもしれない。
著者に接触し、窮状を訴えた。

だが、タイミングが悪かった。著者が転職する時期と重なった為に、
エムワジのケースは紙面に載ることはなかった。

どの時点でエムワジが過激主義に染まったのかは分からない。もしか
したら、著者に接触した時点で一定程度の過激主義に感化されていた
のかもしれない。

それでも考えてしまう。もし、イギリス治安当局が執拗な嫌がらせをしな
ければエムワジは八方塞がりになることはなったのではないか…と。

確かに国内での監視を強めれば、過激主義に染まってシリアや周辺国へ
渡航する若者は減るかもしれない。だが、その分、国内で不満を蓄積し、
その国への憎しみを募らせる人々を増やすのではないか…と。

テロリストを育むのは、何も過激主義者たちのプロパガンダだけではない。
排外主義こそがテロリストの芽を育てるのではないだろうか。

エムワジは死んだ。けれども、第2、第3の「ジハーディ・ジョン」が誕生する
土壌は確実にあると思う。