カルメン、ぶっちゃけ過ぎ

ほほ〜。アメリカの大統領候補戦、ドナルド・トランプ3連勝ですか。
まかり間違って大統領になったりして…。これは本気で勘弁して
欲しいんですけど〜、アメリカ国民の方々〜。

『メダルと恋と秘密警察 ビットが明かす銀盤人生』(カタリーナ・
ビット  文藝春秋)読了。

ビゼー作曲の「カルメン」。フィギュアスケートでは多くの選手が使用して
来た曲だ。「カルメン」といえば黒×赤の衣装との概念を覆し、黒×黄色
の衣装で情熱を抑えたクールなカルメンを演じたマリア・ブッテルスカヤ
は美しかった。あ、この人は何をやっても美しいんだが。

男子版「カルメン」の金字塔と言えば私の初代王子様、ヴィクトール・
ペトレンコだと思っているし、ソルトレイク・オリンピックで自力優勝
可能性がなくなった後のエフゲニー・プルシェンコの「(やけくそ)カル
メン」は会場で見ていて鳥肌が立った。

多くの名演技のなかでも未だに「カルメン」と言えばこの人なのが東
ドイツ代表のカタリーナ・ビットだ。ライバルであったアメリカのデビ・
トーマスとの「カルメン」対決となったカルガリー・オリンピックでの
演技は今でも色褪せない。

そのビットが東西ドイツ統一後、28歳の時に出版したのがこの自叙伝だ。
ベルリンの壁崩壊後、それまで東ドイツのスポーツ・エリートだったビット
は一部のメディアによって非難される。

「ビットはシュタージ(秘密警察)の手先だった」

まったくの事実無根。こんな報道がなされたのはビットが東ドイツの悪口
を言わなかったからだ。本書はそんな一部メディアへの反論の為に書かれ
たようだ。

勿論、冷戦真っただ中の東ドイツでスポーツ・エリートや秀でた芸術家が
シュタージと接触することは避けられない。だが、ビットはシュタージの
手先どころか監視されていた。それもフィギュアスケート選手として頭角
を現わした7歳の頃からベルリンの壁が崩壊するまでずっと。

全27冊、3103ページにも及ぶシュタージによるビット関連の報告書。本書
ではその一部の内容を掲載しながら、報告書に対するビットの反論が
記されている。

そりゃね、東側ではある程度の監視はされていたのは知っていたよ。それ
にしても寝室での出来事まで報告書になるのかよっ。怖いよ、シュタージ。

その時、その時にビットが交際を持った異性とその問題点、競技人生を
支えたミュラー・コーチとのいざこざ。西側への亡命阻止の為の作戦等々。
ビットの生活の隅から隅まで、シュタージは監視の目を張り巡らせていた。

シュタージの報告書ばかりではなく、トレーニングの辛さ、子供の頃の自身
の思い上がり、「ここまで書いて大丈夫か?」と心配になるほどの異性関係
(既婚男性を含む)を赤裸々に綴っている。

あぁ…カルメン、あまりにもぶっちゃけすぎです。若き日のドナルド・トランプ
に電話番号を渡されたけど、無視して電話しなかったとか。

「それに、いつの間にかフィギュア・スケートが単なるジャンプ競技になって
しまったことに、二人とも不満だった。わたしが大嫌いなコンパルソリー、あ
の、わたしがトレーニング時間を合計するとおそらく何カ月も費やしたコンパ
ルソリーが一九九〇年に廃止されてから、選手全員がジャンプのトレーニン
グにもっと時間を割くようになったのだ。十五、六歳の子が三回転を何度も
やっているのを見ると、こっちはめまい寸前だ。
フィギュアはこの方向にすすんでいっていいものだろうか?」

プロ転向後にリレハンメル・オリンピック出場を決意した時のビットの思いだ。
これ、賛成しちゃう。できればわたしゃコンパルソリーを復活させて欲しい
のだもの。

良くも悪くも、自分の欲求に正直で、感情豊かで、率直な人なんだろうな、
ビットって。だから恋愛関係も、コーチとの時にぎくしゃくした関係も赤裸々
に綴るしかなかったのだろう。

あの当時、東側がどんな国だったのかを知るにはいい。難点は時系列で
ないこと。話が28歳の時点から過去に飛ぶことがあって少々読み難かっ
たな。

「銀盤の女王」カタリーナ・ビット。カルガリーの「カルメン」は今見ても
女王様オーラ全開だ。尚、私の「絶対女王」はイリーナ・スルツカヤだけ
どね。(^^ゞ