入院顛末記

出たっ!「ハピエルマン」。今日のフィギュアスケートのエキシ
である。フェルナンデスのこのエキシ、好きなんだよなぁ。

やっぱりエキシははじけてくれる選手がいないと面白くないの
である。

閑話休題

2月8日の深夜23時半過ぎ。前日の昼過ぎから続いていた腹部の痛み
がどうにも耐えられなくなった。取り敢えず地元の市立病院の夜間
診療に電話するも対応した看護師に「明日、来て下さい」と言われ、
救急車を呼ぶ。

何か所か病院を当たってくれたのだが断られ続け、5か所目の病院で
「当直は内科医しかいないので、痛みの原因が内科以外のものなら
治療は出来ないが原因を特定することでよければ」とのことで受け
入れてくれた。

この病院の検査で婦人科の担当になることが分かり、再度、救急隊員が
来てくれ婦人科の当直医のいる病院を探して運んでくれた。

2件目の病院での検査でも婦人科担当の原因であることが特定できたが、
入院するにも通院するにも我が家からは少々遠いので、自宅近くの総合
病院に行くのであれば、宛名なしの紹介状と検査のCD-ROMを用意して
おくから9時過ぎに取りに来て欲しいと言われ、痛み止めを処方して
もらい、自宅に戻ったのが9日の朝5時半ごろ。

そこから母に報告をしたら、一番下の姪の入院などで準備に慣れている
妹に連絡してくれたらしく、朝8時過ぎに自宅に来てくれた。

一旦、2件目の病院に向かい紹介状等を受け取った際に、担当してくれた
女医さんが念の為に私の地元の市立病院に受け入れを要請してくれたの
だが、ここでも拒否。腹立つわ、市民病院。確か救急隊の人も受け入れ
要請してくたのだが、その時も拒否されたんだよな。

そこから妹の判断で一番近い大学病院へ車を走らせた。受診の受付時間
は過ぎていたのだが「受付で痛くてどうしようしようもないって言えば
大丈夫」との妹が言うのでそれを信じて受付へ。

我が家の白くまも付き添ってくれてていたのだが、この大学病院の受付
で物凄いアピールをしてくれた。というか、私が痛みでどんどん無言に
なって行くのにパニックになったらしい。

「オクサン、オナカイタイ。ワタシ、トテモシンパイ。オクサン、タスケテ
クダサイ」

普段は流暢な日本語を話すのになんで片言になってるんだ?と思ったら、
痛いながらも笑えて来た。

この時の受付の人が白くまの話を聞きながら、どんどん受診手続きをして
くれたので、時間を過ぎていても受診できたのは本当に感謝。

その後、各種検査を経て緊急手術・入院となったのだが妹が手続きなどを
滞りなく済ませてくれ、入院に必要なものもすべて揃えてくれた。

今回の入院で実は凄いことがあった。この妹と私の間には、もうひとり妹
がいるのだが借金を作って失踪したのが約20年前。一昨年には居場所が
分かり、連絡も取れるようになってはいたのだが入院中に見舞いに来て
くれ、再会を果たした。

病気がきっかけで思いもしないことがあるものなんだなぁ。

尚、我が家の白くまは入院中に毎日見舞いに来てくれ、私が動こうとする
とやっぱりオロオロしていた。今も少々過保護気味である。動かないと
脚の筋力が復活しないので、もうちょっと放っておいて欲しいんだが。

まぁ、心配をかけちゃったからね。仕方ないか。

『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(樋田毅 岩波書店)を読み
始める。

1987年5月3日に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件直後から特別取材
チームに加わった元朝日新聞記者である著者による執念の取材の集大成。