結びつけること自体が無理

韓国大統領への名誉棄損で起訴されていた産経新聞の元ソウル
支局長に無罪判決が出た。

韓国外務省から「日韓関係を考慮せよ」なんて申し入れがあったよう
だから、政治的な判決になったのだろうな。

この判決を受けて安倍晋三が「未来志向の日韓関係がうんちゃら
かんちゃら」とかコメントしていた。

言っておきますけど「国境なき記者団」が発表している「報道の自由
ランキング」で韓国は60位、そして日本は61位なんですよ。

国内で自分たちが批判されたら速攻で圧力をかけるのにね。

『「辺境」の誇り アメリカ先住民と日本人』(鎌田遵 集英社新書ノンフィクション)
読了。

うかつだったよ。表紙のアメリカ先住民の写真とタイトルを見て、いわゆる
ジャケ買いした本なんだ。だから、サブタイトルに入っている「日本人」と
いうのはアイヌの人とかサンカの人だと思っていた。

でも、違った。本書が指す「日本人」は福島第一原発事故の被災者で
あり、反捕鯨団体の標的にされたイルカ漁の和歌山県太地町の人々
だったり、被差別部落出身者だったりなんだよな。

なんでこの日本の人々がアメリカ先住民と並列で語られるのか分からない。
分からないから本書を読んでいると無理ばかりが目に付く。

原発事故被災者に対しては「故郷を奪われた」という括り。和歌山県太地
町の人たちは「反捕鯨」と「白人的価値観」とう括り。被差別部落出身者に
至っては「差別」という括り。

著者はアメリカ先住民の研究者なのだから、アメリカ先住民に日本人を
絡めて書くなんてことをさせなきゃよかったのにと思う。これは著者だけ
の責任ではなく「アメリカと日本の辺境を繋げる本を書いて畝いい」と
いう編集部の企画自体がいけなかったんじゃないかな。

だから全体にまとまりがない。日本人の話の中に唐突にアメリカ先住民
の話が挟まれる。それも彼らが自発的に日本人を語るのではなく、著者
の方から「こうこう、こういう日本人に対してどう思うか?」という質問を
投げているんだよな。

アメリカ先住民にしろ、原発被災者にしろ、太地町の人々にしろ、被差別
部落出身者にしろ、個々で十分に作品が書けるんだけどね。

「部落にとってのコロンブスは、天皇制だ。部落差別の歴史の方が、
先住民差別より長い」

とある場所でアメリカ先住民に関する話をした著者に対して、被差別部落
出身者が発したコメントなのだが、これはどう受け止めればいんだろうか。

著者は「勉強し直せ」と言われている気分だと書いているのだが、受け取り
方によっては「自分たちの方が長い差別の歴史に晒されているんだ」と
いう主張のようになってしまうのではないか。

歴史が長いからどうなんだ?と思ってしまったんだけど、私は。自分たち
の方が虐げられているってことなのかなぁ。この一文が読み手にどう
解釈されるか、著者は配慮しなかったのかな。

残念でならない。それぞれに興味深いテーマであるのだが、鍋料理の
ようになんでもかんでも盛り込んで、結局はぐずぐずになっている。
男性の書き手にしては珍しく感傷的な表現が多くて、読んでいて疲れ
ました。

アメリカ先住民と同じ土俵に乗せるのなら、やっぱりアイヌの人たちでは
なかったのかなぁ。