たかが文字、されど文字

女王復活である。女子棒高跳びの女王、ロシアのエレーナ・
イシンバエワがモスクワで行われている世界陸上で優勝した。

自己の持つ世界新記録の更新こそならなかったものの、堂々の
優勝。男子棒高跳びではかつての名選手、鳥人ブブカも自己
記録更新をしていたが、イシンバエワもこれまでに29回の更新
をしている。

次の夢は「母になること」らしい。素敵な旦那様と、可愛いお子さん
と一緒にリオに戻って来て欲しいね。美人さんだしな。笑。

『増補版 誤植読本』(高橋輝次:編 ちくま文庫)読了。

大英博物館に世にも稀な聖書が保存されている。モーセ十戒
うちの「汝、カンインするなかれ」が、「汝、カンインすべし」となっている。
「not」が抜けちゃってたのね。

わっちゃ〜。やっちまったなぁ…の見本である。そう、誤植である。
よりによって聖書。しかもこの文言。モーセも目が点だろうな。

印刷物と切っても切れないのが誤植である。どんなに目を皿のよう
にして校正をしても、必ず見落としがある。

専門学校時代には校正の授業も受け、校正の試験も合格した私だが、
事務所勤務時代は先輩編集者から「お前の校正はザルだなぁ」と深い
溜め息を吐かれたことは数知れず。今でも書いた文章の誤字・脱字は
日常茶飯事である。

本書は明治の文豪から現代のエッセイストまでの、校正・誤植に関する
エッセイを集めた1冊である。

「水着姿」ならワクワクするけど、「水着婆」だったら怖いもの見たさに
なってしまう。「愛妻」なら微笑ましいが、「愛毒」だったら危険なものを
感じる。

「全知全能といわれる露皇帝」とすべきところを「無知無能」とやって
しまったから、さぁ、大変!外交問題にまで発展しそうな誤植まで
ある。

天皇陛下」が「天皇階下」ってのもありましたね。右の人たちに
猛烈な抗議を受けそうだ。こんな誤植を防ぐ為に、「天皇陛下」の
4文字を活字にしちゃった印刷所もあったとか。

活版時代の話が多いので、現在のデータ原稿入稿しか知らない
世代ではピンと来ないかもしれない。でも、今だって「ちゃんと校正
してんのかよ」って本は結構あるんだよね。

何も校正者の見落としだけで誤植が生まれる訳じゃない。手書き原稿
の時代は執筆者の悪筆が生んだ悲喜劇だってある。大変なのよ、
悪質の執筆者の原稿を読み下すのは。ブツブツ…。

インパクトの強い誤植の話ばかりではなく、執筆者としての校正者に
対する苦言、反対に校正者に対する感謝の思いも綴られている。

印象に残ったのは吉村昭氏の「刑務所通い」と題された作品。

大学の文芸部で少ない予算をやり繰りして文芸雑誌を出していた。
印刷代を安く上げるために、小菅刑務所に印刷を頼んだ。校正の
為に刑務所へ通う吉村氏は、校正刷りを間に挟んで囚人たちに
親密感を感じる。なかには文学の素養のある囚人がいて、文章を
巧みに直してくれる。

ある時、吉村氏の書いた作品の最後に書いた覚えのない一節が
あった。

「雨、雨に濡れて歩きたい」

囚人が付け加えた一節だ。吉村氏はこの一節を消すことに苦痛を
感じる。しかし、やはり自分の作品が大事だ。

「私は、複雑な気分で、赤い線を一本遠慮しながら引いた。」

4ページにも満たないエッセイで、やられたよ。なんだよ、この余韻。
これまで「うわぁ、なんだこの誤植」って結構笑いながら読んでいた
んだけどね。すごいな、吉村氏は。

文章を書く人、本を読む人なら楽しめる1冊である。どんなに技術が
進歩しても、誤植ってなくならないんだろうな。それにしても、最近の
校正ソフトに頼り切った校正はどうにかならないものだろうか。