静かにしなさい

68年目の終戦の日靖国神社でひと騒動だ。取材に来ていた
韓国メディアを挑発するような行動をした日本人がいたことで
小競り合い。

あぁ、恥ずかしい。戦没者を慰霊し、平和を祈願する日だぞ。
今日は。何をしているんだか。

そして、相変わらずの国会議員による靖国参拝官房長官
「個人の信教の自由」と言っていたが、参拝した議員センセイ
たちは皆様、神道を信仰していらっしゃるのか。そりゃ、知り
ませんでした。

国内のことだから海外で騒がれるのは心外だというような発言を
していたセンセイもいた。なんで騒がれるの分かっているのか?

以下に以前読んだ靖国神社に関する本の感想を転載する。
靖国に参拝することに疑問を抱いていない議員センセイは
読んでおいた方がいいぞ。

靖国の戦後史』(田中伸尚 岩波新書)読了。

戊辰戦争天皇側の戦没者を祀ったことから始まった靖国神社は、
政教分離の原則にのっとれば戦後はそのあり方を変質させなくては
いけなかった。しかし、まるで時間が止まったかのように、明治時代
そのままの思考・あり様で現在まで来た。

国家が戦没者を「英霊」として祀るのは、国に殉じたとされた人々と
遺族をいつまでも「国家」という枠組みに縛りつける。

祭神として祀られている人たちのすべてが、喜んで死地に赴いた訳では
ないだろう。占領下・植民地下であった朝鮮・台湾・中国から、強制連行
され徴用された人も多くいるだろう。しかも、無理矢理「日本人」とされてだ。

靖国神社にはそんな人々も合祀されており、遺族から合祀取り消しの
要望があっても一切応じない。

国に取られた命ではなかったか。国が奪った命ではなかったか。彼らは
国の犠牲者なのではないのか。その死を一宗教法人が遺族の承諾も
なく祭神にする権利はないだろう。

靖国神社への戦没者の合祀については旧厚生省が協力している時点で、
政教分離の原則は無視されているのではないだろうか。

本人が、遺族が、靖国に祀ってもらうこを望んだのであればそれはいい。
だが、少数かも知れぬが拒絶を示す人たちもいる。ならば、その人たちの
元で静かに眠らせてあげるのが「慰霊」なのではいだろうか。

明治は遠くに去り、大正は短く過ぎ、激動の昭和も終焉を迎え、平成も22年
を迎えた。それでも、靖国は明治のままに存在している。