一緒なのは名前だけ

福島第一原発事故の被災者の方々に対して、東京電力が賠償請求の
書類発送を開始したそうだ。しかし、この書類、60ページもあるんだとか。
目を通すだけでひと仕事だ。

そして、家屋等の財産については賠償の対象外だそうだ。曰く、立ち入りが
出来ないので財産の査定が出来ないから…だとか。

何も持ち出すことが出来ず、避難先を転々としている人にとって、これは賠償
になるのだろうか。ふと考えてみた。賠償の対象にしているのって、避難する
のにかかった費用だけ…なんじゃないのか。うーん…。

ローマ人の物語37 最後の努力[下]』(塩野七生 新潮文庫)読了。

カエサルが構想し、アウグストゥスが構築したのが帝政ローマならば、
ディオクレティアヌスが改革し、コンスタンティヌスが盤石にしたのが
絶対君主制のローマである。

ローマ帝国」の名称は同じでも、国の実態であればまったく異なるもの
となった。

「ローマ軍の背骨」とまで言われ軍団中の精鋭揃いだった国境の防衛軍は、
「攻めて守る」から「攻め込まれて撃退する」までに堕ちた。それは、軍団が
守るものがローマ市民の安全ではなく、絶対君主となった皇帝を守る為に
存在するようになったからだ。

「これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのであろうか」

全く同感である。4世紀のローマ帝国は、既にローマ帝国ではないし、
キリスト教徒からは「大帝」と呼ばれるコンスタンティヌスだが、私は「大帝」
とは呼びたくないね。笑。

コンスタンティヌスについては著者もあまり好きではないのか、人物像に
ついてはほとんど描いていない。やはり、著者の大好きなカエサル
構想したローマと、あまりにもかけ離れたローマを再興したからなのか。

尚、ハドリアヌス帝以降のローマ史に疎かったので、コンスタンティヌス
キリスト教を国教にしたのだと思い込んでいた。そうじゃなかったんだな。
キリスト教をも公認しただけ…だったんだ。