狂信の時代

仕事帰り、地元駅から自宅に向かって自転車を走らせていた。ぼんやりと
見ていた西の空に、突然、意識が引きつけられた。

ん?なんだ、あの雲は。縦に延びる形の雲は「地震雲」の一種ではなかったか。
うーん、数日前にも地震雲が出ていたと聞いたけど、まさかね。

地震雲も、ナマズと同じようなものかもしれないね。迷信は好きだけど、聞いて
楽しむだけに留めておこう。

ローマ人の物語40 キリストの勝利[下]』(塩野七生 新潮文庫)読了。

キリスト教優遇策により、一神教支配に飲み込まれて行くローマを止めようとした
ユリアヌス帝の死後、後継の皇帝たちは次々とユリアヌス帝の実施した政策を
反故にし、キリスト教は帝国内での地位を再び確立する。

そして、テオドシウス帝によりキリスト教はローマの国教となる。キリスト教史観
では大帝と呼ばれるコンスタンティヌス帝も、その子コンスタンティヌス帝も、
キリスト教を優遇はしたが洗礼を受けたのは死・の直前だったのに対し、
テオドシウス帝は存命中に洗礼を受ける。

後世から「王権神授説」と呼ばれるきっかけを作った。そして、「ローマ市民中の
第一人者」であり元老院ローマ市民から統治を委託されるのが皇帝という
ローマの統治スタイルをまるっきり変えてしまう。

皇帝は神から統治を託された者になるのだ。要は皇帝の上にキリスト教会が
君臨していることとなる。これが、後の「カノッサの屈辱」が起こる原因にもなった。

キリスト教国教化がなったことで、それまでのローマの神々を崇めること・祭儀を
行うことは禁止され、神殿どころか街道沿いにあった祠までが閉鎖される。神々の
彫像を飾ることさえ「偶像崇拝」とされ、悪くすれば死罪である。

おまけにローマ・ギリシアの文芸作品を収めた図書館までが閉鎖である。

あぁ…なんてこったいっ。ユダヤの人々に政教分離を説きながらも、信ずるもの
まで奪わなかったローマなのに、自分たちの神々を捨てたどころか「邪教」と
さえ呼んでしまう。「異なる教え」の異教ではなく、「邪な教え」だぜ。

しかも、同じキリスト教なのに三位一体以外の教理は「異端」として排除する。
中世の異端審問や魔女裁判を思い出したよ。

ローマに屈したギリシアの文化を愛し、敗者の神々まで自分たちの神に加え、
皇帝でさえも死後には神格化したローマはもう存在しない。ローマ人が誇った
「寛容の精神」は死に絶え、狂信の時代がやって来た。

常々、食の否定は文化の否定と思っているのだが、宗教の否定もまた、文化
の否定に他ならない。

さて、ローマ帝国が完全に崩壊するまで、残すところあと3巻になってしまった。