信教の自由

3.11から半年、9.11から10年が経った。片や自然災害、片やテロの
違いはあるが、共に犠牲になった方々のうち、未だ身元が判明していない
人が多くいる。ひとりでも多くの方が、早く家族・友人の元に帰れます
ように。

そして、9.11以降、ヒステリックなイスラム差別を続けるアメリカが、自分たち
の間違いに気付いてくれますように。

子ブッシュ時代から始まった「愛国者法」なんて悪法は、一刻も早くなくなり
ますように。

ローマ人の物語36 最後の努力[中]』(塩野七生 新潮文庫)読了。

4頭政を始めたディオクレティアヌスが、ローマ皇帝として初めての「引退」を
表明し皇帝の地位から退いても体制はそのまま残った。

しかし、4人の皇帝のうち絶対権力を保持していたディオクレティアヌスの引退は
4頭政の崩壊の引き金になる。4人どころか、同時に6人の皇帝が並立し、お約束
のように権力闘争の内乱である。

最終的にコンスタンティヌス帝が権力闘争を勝ち抜き、絶対君主として君臨する。
後の「ミラノ勅令」によりキリスト教徒から「大帝」と呼ばれることになることから
分かるように、キリスト教を容認したことからローマ帝国が長年侵攻して来た
多神教を捨てるきっかけを作った人である。

どうも読むのが辛くなってきた。ディオクレティアヌスの治世から、ローマは既に
ローマでなくなり、首都さえも省みられなくなっている。そして、敗者の神どころか、
自分たちの皇帝までも死後には神格化して、30万とも言われる神々を持った
国が、不寛容な一神教の国に変わってしまうのだ。

そして、法治国家だったローマ帝国は確実にその基盤が崩れて行く。著者も
書いているが、これはもう「中世」である。ただ、同じ中世でも「まずはヴェネツィア
市民、次いでキリスト教徒」のヴェネツィアのように変われば、ローマ帝国
まだ面白かったのかも知れぬ。

そんな大帝、コンスタンティヌスであるが、彼の凱旋門が歴代皇帝の時代の
装飾を組み合わせたパッチワークなのが興味深い。この凱旋門に関しては
図版も豊富に収録されているので、装飾の技術の違いを見比べられる。

滅びるして滅んだ帝国だが、あまりの変わりようにページをめくる手も鈍るぜ。