当事国なんですけど

「やばいっ!あれだけ安全だってPRしてたのに福島で事故った。
そうだ。ほとぼりが冷めるまで、海外に原発を輸出しようっと」

「まずいっ!せっかくトップセールスしたのに、受け入れてくれる
はずの国が原発輸入を凍結しちゃった。あ、事故から8年も経って
いるし、日本人は忘れっぽいから徐々に再稼働しちゃうか」

という妄想をしてしまったのだが、日本政府は地球温暖化対策の
為に原発を推進すると国連に提出するらしいわ。

おい、再生可能エネルギーの普及はどうした?

日本は原発事故当事国なんだけど、それはもうなかったことなの
かね?

そういや東電は特定技能の外国人を福島第一原子力発電所廃炉
作業に受け入れると発表したな。

自分のところで起こした事故は、自分のところで完結させろよ。
てめえのケツもふけないような電力会社に、この先も原発
稼働を任せるのか。

『つかぬことをうかがいますが…─科学者も思わず苦笑した102の
質問─』(ニュー・サイエンティスト編集部 ハヤカワ文庫)を
読み始める。

イギリスの科学雑誌「ニュー・サイエンティスト」に読者から
寄せられた素朴な疑問。回答を寄せるのもまた読者という人気
コーナーをまとめた1冊。

記憶に残っていたのはノーパンしゃぶしゃぶだった

どうして森喜朗は突然、日本ラグビー協会の名誉会長を辞任
したの?

「竹田の次は俺か」とかいう、フランスの捜査当局の手が伸びて
来そうだからってことじゃないよね?

『会長はなぜ自殺したか─金融腐敗=呪縛の検証─』(読売新聞
社会部 新潮文庫)読了。

野村証券の総会屋への利益供与事件が発端となり、東京地検
特捜部の調べは第一勧業銀行へ飛び火した。

しかし、事件は拡大の一途をたどる。第一勧銀だけは終わらず、
火の粉は日本銀行、大蔵省にまで降りかかった。

1990年代後半の一連の金融不祥事は、リアルタイムで事件報道を
見ていたはずなのに、私の記憶に残っていたのは大蔵省の偉い人
が金融機関に接待され、行った先がノーパンしゃぶしゃぶだった
ことだった。

経済オンチが経済事件に接しても、この程度の認識しか残らない
のね。私の頭脳には。でも、ノーパンしゃぶしゃぶインパク
があったのよ。

さて、本書である。総会屋への利益供与や、大口顧客への損失補填
は当時の金融業界にあって「社会通念」だったのだろう。社内で
連綿と引き継がれて来たことだから、誰も「これはまずいのでは
ないか」とも思わずに続けられて来た。

それがある日、「ちょっと話を聞かせてもらおうか」と東京地検
特捜部が乗り込んで来る。証券会社も銀行も、寝耳に水だったの
だろう。

そうして捜査が進むと、第一勧業銀行元会長や政治家であった
新井将敬ら、6人が捜査の過程で自ら命を絶っている。

新井将敬自死については謀殺説も根強いようだが、改革派という
表の顔の裏で証券会社に「儲けさせてくれ。損失補填しろ」とやって
いたのだから逮捕目前での自殺は不自然ではないと思うんだよね。

ただ、6人もの自殺者が出たことで、東京地検特捜部の捜査自体が
批判の対象になってしまったのは残念である。

新井将敬だけではない。幾人もの政治家が新井将敬と同じように、
証券会社へ利益を強要していた。もし、新井将敬が自殺せず、
事件がどんどん政界にも波及していたらどんな政治家の名前が
浮上したのか興味が湧く。

本書では第一勧業銀行事件をメインに据えているので、その病巣
がどこにあるのか。歴代の会長・頭取からどのようにして悪癖が
引き継がれて来たのか。総会屋とはどのような存在なのかが平易
な言葉で分かりやすく書かれている。

この一連の事件から大蔵省は解体され、金融部門と財政部門が分離
され、財務省が誕生した。

それで浄化されたかと問えば、否なんだろうな。モリカケ問題の
発生源は財務省だものな。そろそろ財務省も解体しますか?

 

会長はなぜ自殺したか―金融腐敗=呪縛の検証 (新潮文庫)

会長はなぜ自殺したか―金融腐敗=呪縛の検証 (新潮文庫)

 

 

迷惑以外のなにものでもない

2020年の夏季オリンピック東京大会の試合日程が発表された。
その裏(?)でこっそりと大会期間中の渋滞対策の予行練習が
今夏、首都高で行われることが明らかになった。

7月22日から8月2日、8月19日から8月30日の2回に分けて、
一部の首都高入り口の併催及び料金所のレーン規制が行われ
るとのことだ。

具体的にどこの入り口が閉鎖されるかや時間帯は発表になって
おらず、首都高のホームページではこの予行練習については
一切記載がない。

学校が夏休み期間の7月20日前後から8月いっぱいと言うのは
毎年のように首都高は激混みなんだよね。比較的空いているの
はお盆休み期間くらいか。

オリンピック開催期間を想定してこの時期に決定したのだろうが、
利用者にとっては迷惑この上ないと思うわ。

そんなに都内に車両を入れたくなければ、早急に外眼道の未開通
区間を開通させろって思うんだが、西側の完成はまだまだ先だもの
ねぇ。

物流会社の皆さん、料金のこととか配送時間のこととか、相当に
頭が痛いだろうな。お気の毒過ぎる。

『会長はなぜ自殺したか─金融腐敗=呪縛の検証─』(読売新聞
社会部 新潮文庫)を読み始める。

証券会社による損失補填に端を発し、大蔵省解体にまで発展した
金融不祥事。事件の過程で第一勧業銀行の元会長や新井将敬代議士
など6人が自殺に追い込まれた。

日本企業及び政官界の病巣に切り込んだノンフィクション。

昭和がまた遠くなる今だからこそ

あぁ…ノートルダム大聖堂が燃えていたのよ。テレビをつけたら。
なんてことっ!パリだけじゃなく、世界が呆然だわ。

私の可愛いガーゴイルたちは無事なのだろうか。

天皇が十九人いた さまざまなる戦後』(保阪正康
 角川文庫)読了。

副題である「さまざまなる戦後」が単行本の時のタイトルだった。
これは文庫発行時に変えない方がよかったのではなかな。

有名な熊沢天皇をはじめとした、自称天皇を扱った章はわずかに
30ページほどでしかないのだから。

副題が示すように、人間宣言後の初の行幸となった昭和天皇
神奈川県行幸の2日間、戦争責任を一身に押し付けられた東条
英機、沖縄戦の「白い旗の少女」などを通して戦後の昭和を
描いている。

本書は再読なのだが、改めて読み返してみると天皇制を残そう
としたGHQが、自称天皇たちに興味を示し、あわよくば利用
しようとしていたことが分かる。

これは昭和天皇の神奈川県行幸に対して、GHQの一部が日本国民
昭和天皇に石を投げるだろうと期待し、冷笑的に行幸を見ていた
様子に重なる。

自称天皇たちはみなが南朝の末裔であることを拠り所にし、彼らの
言い分に根拠を与えた人物に取材出来ているのは注目だ。

東条英機の章では「東条日記」が貴重だし、東条の孫だと言うだけで
理不尽な扱いを受けた話は心が痛んだ。現代でいうところの、犯罪者
の進塁縁者へのバッシングだろう。これは日本の伝統なのか?

私は常々、重大事が起きても日本のお役所では誰も責任を負わない
システムが確立されていると感じている。真珠湾攻撃の際にアメリ
への通告が遅れたことの原因究明が何故、うやむやにされたのかを
追った「外務省の癒されぬ五十年前の過失」を読むと、責任の押し
付け合いや責任転嫁は連綿と続いていることが理解出来る。

他にも特攻隊員に自分を重ねることで生きた俳優・鶴田浩二、銀幕
スターでありながらどこか哀しみを抱えたような市川雷蔵、自分が
「白い旗の少女」であると本人が名乗りを挙げるまで写真が独り歩き
をしてしまった話など、再読に耐える内容だ。

平成も間もなく終わり、令和の時代がやって来る。それでも、昭和史
に対する興味は尽きない。

 

天皇が十九人いた―さまざまなる戦後 (角川文庫)

天皇が十九人いた―さまざまなる戦後 (角川文庫)

 

 


国策は棄民とイコールである

フィギュアスケートの国別対抗、今日は女子フリー。テレビでは
放送が始まったばっかりだけど…。

私のリーザ(エリザベータ・トゥクタミシェワ)が自己ベスト更新
で1位ですよわよ~~~~~。キャーッ、リーザ素敵☆

あとで動画を観まくろうっと♪

『移民たちの「満州」 満蒙開拓団の虚と実』(二松啓紀
 平凡社新書)読了。

昭和恐慌による農村の疲弊、南北アメリカ大陸への日本人移民の
規制強化が日清・日露戦争で手にした満蒙特殊権益と結びつき、
後々の悲劇となる満蒙開拓が国策として推進された。

実は時の日本政府も軍部も、満蒙開拓には消極的だった。歴史に
「もし」は禁忌だが、国の財布を握っていた高橋是清財務大臣
2.26事件で殺害されなければ、満蒙開拓はもっと小規模なものに
なっていたのではないかとも思いが拭えない。

実際、開拓という言葉から受ける印象とは異なり、満蒙の場合は
既に耕地として活用されていた土地から中国人や朝鮮人の農民を
僅かばかりの金で取り上げ、そこへ日本人を入植させただけだ。

恨みを買って当然じゃないかと思う。

一部の農本主義者は貧困に陥った農村経済の救済の為、農家の
次男、三男を入植させるのだと主張したが、実際には貧困に
喘ぐどころか十分な農作物の収穫もあり、安定した収入のある
農家を入植させた例も多い。

加えて、満蒙開拓は地方自治体が主体となっての公募のはずが、
名指しで移民を勧められた人たちもいる。

戦争末期、ソ連の満蒙侵攻が始まれば移民たちを守るはずだった
関東軍の上層部や満鉄幹部、官僚たちはとっとと逃げ出し、現地で
関東軍に徴兵された男性たちはシベリアに抑留され、残された女性
や子供たちの日本帰国を目指しての逃避行は悲惨を極める。

「戦争だったから」で済ませてはいけない。満蒙開拓は国策だった
のだ。それなのに、誰も責任を負わず多くの命が失われて行った。

国策は棄民とイコールのなのではないか。それは、戦後も続いて
いる。

満蒙からの帰国者の為という名目で、日本国内でも入植が行われた。
千葉県成田市三里塚青森県六ケ所村もそうだ。この国内入植も
国策だ。それなのに、三里塚も六ケ所村も苦労して開墾した土地を
国によって取り上げられているではないか。

本書は多くの資料・証言から、満蒙開拓の現実を浮き彫りにした
良書である。

 

 

新書782移民たちの「満州」 (平凡社新書)

新書782移民たちの「満州」 (平凡社新書)

 

 

ニホンゴ、ムズカシイネ

天皇皇后両陛下、ご結婚60年おめでとうございます☆

『頭の悪い日本語』(小谷野敦 新潮新書)読了。

文章を書いたり、話したりしていると「この言葉の遣い方は
これでいいのか?」と感じることがしばしばある。

日本語って難しいよね。だって、「日本」と書いても読みが
「ニホン」だったり「ニッポン」だったりするのだし、『日本
書紀』は「ニホンショキ」なのに、『続日本紀』になると
「ショクニホンギ」になって「キ」が濁るんだもの。

電話オペレーターの仕事をしていた時は「鑑みて」を「考える」
と同義語で使っている同僚がいてイラっとしたしな。

言葉の使い方が気になる。だから本書も日本語の誤用例集かと思っ
たのだが、言葉に関するエッセイ・雑学といった感じかな。

誤用しやすい言葉もいくつか取り上げられているのだが、取り上げ
らている言葉に対しての著者の好き嫌い、そして言葉を使う人への
個人攻撃なので、読み手側も好き嫌いがはっきりするのではないか
と感じた。

個人攻撃の部分はさらっと読み流して、雑学として受け取った方が
いいかもしれない。

一時、雑誌などで盛んに「勝ち組」「負け組」という言葉が使われて
いたが元々の使われ方や、埼玉県熊谷市は「くまがや」ではなく
「くまがい」が正しいとかは他でも読んだ気がする。

私が気になっているのは「天皇陛下」に対して「皇后さま」と言う
テレビの呼称。「天皇陛下」と呼ぶなら「皇后陛下」だろう思うの
だが、NHKさえ「皇后さま」って言うんだよな。

また、政治家がよく口にする「粛々と」も気になるし、「ダイバー
シティ」「レガシー」などの外来語も気になると言うか気に障る。
「多様性」「遺産」でいいじゃないか。

いずれにしろ、やっぱり日本語は難しいと思うのよ。言葉は時代と
共に変わっていく。「全然」論争のような例もあるから、間違いと
されていた使い方でも時を経ると正しい使い方になることもあるの
だからね。

 

頭の悪い日本語 (新潮新書)

頭の悪い日本語 (新潮新書)

 

 

イワンvsフリッツを追ってベルリンまで

へぇ、お札が変わるんですって。諭吉さんはお役御免となり、
新一万円札は渋沢栄一になるんですって。五百円硬貨も変わる
んですって。

元号も変わるし、お札も変わるから、政権も変わればいいのに。

赤軍記者グロースマン 独ソ戦取材ノート1941-45』
アントニー・ ビーヴァー/リューバ・ヴィノグラードヴァ:編
 白水社)読了。

私の本棚の片隅には「いつか読むんだ」と手付かずのままの長編
作品がいくつか並んでいる。そのなかの一作品が『人生と運命』
全3巻である。

書いたのはヴァシーリー・グローズマン。旧ソ連の領土だった
ウクライナ生まれのユダヤ人。第二次世界大戦時、独ソ連
始まると愛国心から兵士としての参戦を希望したが叶わず、
従軍記者としてスターリングラード攻防戦、クルスク会戦、
赤軍ポーランド進撃、そしてベルリン陥落までを取材した。

従軍記者としての見聞を下敷きにして書かれたのが『人生と運命』
なので、大作を読む前段階の知識として本書は見逃せない。

副題にある通りに取材ノートからの独ソ戦を描いているので赤軍
礼賛は当然としても、戦場となった村や町の住民から赤軍兵たち
の乱暴狼藉を聞き取った内容もメモされている。さすがにそのまま
記事にすることは出来なかったのだろうが。

本書の注目は赤軍ポーランド進撃後、多くの証言から再構成された
ナチス・ドイツによるユダヤ絶滅収容所を描いた文章だ。ただし、
スターリン体制下でのソ連ではユダヤ人の被害を強調することには
かなりの検閲が入ったようだ。

アメリカの従軍記者だったアーニー・パイルは前線の兵士たちの
姿を報道することでGIやその家族から愛された。赤軍に従軍した
グロースマンも兵士やゆく先々の住民の心を開かせ、話を聞き出す
才能を持っていた。ふたりとも、新聞に掲載された記事は読者から
注目された。

アーニー・パイルは沖縄戦で命を落としたが、グロースマンは戦後
ソ連ではユダヤ人であることで冷遇され、作品を発表する場も
奪われて胃がんに倒れた。

グロースマンの死後、作品が発表されたのはサハロフ博士が原稿を
マイクロフィルムにして海外に持ち出したからだと言われている。

尚、独ソ戦と言えばあのアンサイクロペディアにさえ嘘を書かせな
かったルーデル閣下だが、本書では出番なし。そうだよな、イワン側
からの独ソ連戦なのだから。

 

赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941‐45

赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941‐45