イワンvsフリッツを追ってベルリンまで

へぇ、お札が変わるんですって。諭吉さんはお役御免となり、
新一万円札は渋沢栄一になるんですって。五百円硬貨も変わる
んですって。

元号も変わるし、お札も変わるから、政権も変わればいいのに。

赤軍記者グロースマン 独ソ戦取材ノート1941-45』
アントニー・ ビーヴァー/リューバ・ヴィノグラードヴァ:編
 白水社)読了。

私の本棚の片隅には「いつか読むんだ」と手付かずのままの長編
作品がいくつか並んでいる。そのなかの一作品が『人生と運命』
全3巻である。

書いたのはヴァシーリー・グローズマン。旧ソ連の領土だった
ウクライナ生まれのユダヤ人。第二次世界大戦時、独ソ連
始まると愛国心から兵士としての参戦を希望したが叶わず、
従軍記者としてスターリングラード攻防戦、クルスク会戦、
赤軍ポーランド進撃、そしてベルリン陥落までを取材した。

従軍記者としての見聞を下敷きにして書かれたのが『人生と運命』
なので、大作を読む前段階の知識として本書は見逃せない。

副題にある通りに取材ノートからの独ソ戦を描いているので赤軍
礼賛は当然としても、戦場となった村や町の住民から赤軍兵たち
の乱暴狼藉を聞き取った内容もメモされている。さすがにそのまま
記事にすることは出来なかったのだろうが。

本書の注目は赤軍ポーランド進撃後、多くの証言から再構成された
ナチス・ドイツによるユダヤ絶滅収容所を描いた文章だ。ただし、
スターリン体制下でのソ連ではユダヤ人の被害を強調することには
かなりの検閲が入ったようだ。

アメリカの従軍記者だったアーニー・パイルは前線の兵士たちの
姿を報道することでGIやその家族から愛された。赤軍に従軍した
グロースマンも兵士やゆく先々の住民の心を開かせ、話を聞き出す
才能を持っていた。ふたりとも、新聞に掲載された記事は読者から
注目された。

アーニー・パイルは沖縄戦で命を落としたが、グロースマンは戦後
ソ連ではユダヤ人であることで冷遇され、作品を発表する場も
奪われて胃がんに倒れた。

グロースマンの死後、作品が発表されたのはサハロフ博士が原稿を
マイクロフィルムにして海外に持ち出したからだと言われている。

尚、独ソ戦と言えばあのアンサイクロペディアにさえ嘘を書かせな
かったルーデル閣下だが、本書では出番なし。そうだよな、イワン側
からの独ソ連戦なのだから。

 

赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941‐45

赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941‐45