国策は棄民とイコールである

フィギュアスケートの国別対抗、今日は女子フリー。テレビでは
放送が始まったばっかりだけど…。

私のリーザ(エリザベータ・トゥクタミシェワ)が自己ベスト更新
で1位ですよわよ~~~~~。キャーッ、リーザ素敵☆

あとで動画を観まくろうっと♪

『移民たちの「満州」 満蒙開拓団の虚と実』(二松啓紀
 平凡社新書)読了。

昭和恐慌による農村の疲弊、南北アメリカ大陸への日本人移民の
規制強化が日清・日露戦争で手にした満蒙特殊権益と結びつき、
後々の悲劇となる満蒙開拓が国策として推進された。

実は時の日本政府も軍部も、満蒙開拓には消極的だった。歴史に
「もし」は禁忌だが、国の財布を握っていた高橋是清財務大臣
2.26事件で殺害されなければ、満蒙開拓はもっと小規模なものに
なっていたのではないかとも思いが拭えない。

実際、開拓という言葉から受ける印象とは異なり、満蒙の場合は
既に耕地として活用されていた土地から中国人や朝鮮人の農民を
僅かばかりの金で取り上げ、そこへ日本人を入植させただけだ。

恨みを買って当然じゃないかと思う。

一部の農本主義者は貧困に陥った農村経済の救済の為、農家の
次男、三男を入植させるのだと主張したが、実際には貧困に
喘ぐどころか十分な農作物の収穫もあり、安定した収入のある
農家を入植させた例も多い。

加えて、満蒙開拓は地方自治体が主体となっての公募のはずが、
名指しで移民を勧められた人たちもいる。

戦争末期、ソ連の満蒙侵攻が始まれば移民たちを守るはずだった
関東軍の上層部や満鉄幹部、官僚たちはとっとと逃げ出し、現地で
関東軍に徴兵された男性たちはシベリアに抑留され、残された女性
や子供たちの日本帰国を目指しての逃避行は悲惨を極める。

「戦争だったから」で済ませてはいけない。満蒙開拓は国策だった
のだ。それなのに、誰も責任を負わず多くの命が失われて行った。

国策は棄民とイコールのなのではないか。それは、戦後も続いて
いる。

満蒙からの帰国者の為という名目で、日本国内でも入植が行われた。
千葉県成田市三里塚青森県六ケ所村もそうだ。この国内入植も
国策だ。それなのに、三里塚も六ケ所村も苦労して開墾した土地を
国によって取り上げられているではないか。

本書は多くの資料・証言から、満蒙開拓の現実を浮き彫りにした
良書である。

 

 

新書782移民たちの「満州」 (平凡社新書)

新書782移民たちの「満州」 (平凡社新書)