裁かれたのは彼かもしれない

梅雨入りしたばっかりなのに雨が降らない。梅雨の中休みとは
言うけれど、今年の梅雨はずる休みか?

雨の降らない日本の梅雨。一転して中欧は時ならぬ大雨に
見舞われているらしい。まさか日本に降る分が中欧で降って
いる訳じゃないよね。

『オウムからの帰還』(高橋英利 草思社文庫)読了。

1995年3月20日オウム真理教による地下鉄サリン事件
発生した。それ以前から疑惑の集団だったオウム真理教だが、
この事件がきっかけとなり各地の教団施設に強制捜査が入る
ことになった。

事件から約1カ月後。久米宏が司会を務めるオウム特番に
出演した「元信者」が著者である。この番組の終盤で飛び
込んで来たのが、村井秀夫刺殺事件だ。

村井秀夫は著者がオウムから脱出する直前まで、著者の
ワークを指導していた。

人を殺すことで人を救済するとしたオウム真理教。その内部で
はどんなことが行われていたのか。信者として何を感じていた
のかを綴ったのが本書である。

一連の事件を振り返るテレビ番組でも取り上げられるように、
元々はヨガ・サークルだったオウム真理教。著者は在家信者
として入信した後、一旦、オウムを辞め、2年の時を経て今度は
出家信者としてオウムの施設で過ごすようになる。

著者が離れていた2年の間に教団は先鋭化していた。終末思想
を説き、死と隣り合わせの過酷なイニシエーションが行われる
ようになっていた。

オウム真理教の幹部連中と同じように、著者も高学歴である。
先述した村井秀夫や早川紀代秀、井上嘉浩、豊田亨等の
麻原側近と親しく、教祖である麻原本人からも言葉を掛けられる
立場にいながら、側近に取り立てられることはなかった。

それは再度入信した教団に対し、内部にいながらも「何かおかしい」
と疑問を抱いていたからかもしれない。

しかし、「おかしい」と思いながらも「立ち止まって考えることを
しなかった」。そう、裁判に付された幹部たちも立ち止まって考え、
オウムを離れていたら違ったところで自分の知識を活かせたの
かもしれない。

「文庫版へのあとがき」で、豊田亨の裁判の際に弁護側証人と
して出廷した著者が裁判長からかけられた言葉が記されている。

「高橋さん、なぜあなたはサリンを撒かなかったのですか?なぜ、
あなたにはそのような指示がこなかったのですか?彼は撒き、
あなたは撒かなかった……その違いはどこにあるのでしょう?」

そう、もしかしたら法廷に立っていたのは彼だったのかもしれない。
被告と証人を分けたのは、ほんのわずかな違いだったのかも
しれない。