最後の生をいかに生きるか

今日は安倍ちゃんが伊豆大島へ視察へ行く予定だったが、
悪天候で中止だそうな。

そもそも行く必要がないだろう。既に猪瀬東京都知事
行っているのだから。

行方不明の方の捜索中に行っても邪魔するだけなので、
私邸で大人しくしていて下さい。

『大いなる看取り ─山谷のホスピスで生きる人びと─』
中村智志 新潮文庫)読了。

東京・山谷。日本を代表するドヤ街。日雇い労働者の街であり、
漫画「あしたのジョー」に出て来る泪橋はこの山谷の近くにある。

高度経済成長期の建設ラッシュを裏で支えた街も、今では高齢
化が進んでいる。日雇い仕事も少なくなり、仕事にあぶれた人
たちの中には生活保護で暮らす人も少なくない。

そんな山谷に民間のホスピスがある。「きぼうのいえ」とそれに
付属する「なかよしハウス」だ。

モデルはインド・カルカッタにあるマザー・テレサの「死に行く
人たちの家」。行き場がなく、間もなく死を迎えるであろう人
たちの為に設けられた施設だ。

入居者は様々な事情を抱えて「きぼうのいえ」に辿り着く。
米軍から拳銃500丁を密輸したこともあると語る男性、
元料理人の男性は施設の職員に感謝のしるしとして手料理
を振舞う。

戦時中731部隊に所属していたという男性は、淡々とそこでの
経験を語り、著者が持参した『悪魔の飽食』を手元に置いたまま
旅立って行く。

死を間近にしていかに最後の生を生きるか。暗くなりがちなテーマ
だが、本書には暗さや高齢者福祉にありがちな理想論は一切
ない。

入居者と職員、そして度々施設を訪れて話を聞く著者との間に
温かい交流があるばかりだ。

重いテーマだけれど希望がある。看取る側にも看取られる側にも、
充実感があるからだろう。

家族に囲まれてもいても幸福な死を迎えられない人もいる。その
対面に位置するのが「きぼうのいえ」での看取りではないだろうか。

いかに生きたかも大切だけれど、残された時間をいかに生きるかも
重要なのだなと思う。自分の人生に満足して、最期は肩の力を
抜いてふっと逝きたいね。