トニーは大英帝国復活を夢見た

『ブレアのイラク戦争』(梅川正美/阪野智一:編著 朝日選書)
読了。

「国連という殿堂において、我々は理想と良心の守護者である。
我々の担う重い責任と多大な名誉が、我々に平和的な武装解除
優先させるはずである。これが、戦争と占領と蛮行を経験した
ヨーロッパという「古い大陸」の「古い国」、フランスの
メッセージだ」

テロにはこれまでの戦争のルールは適用しない。先制攻撃で壊滅
を目指す。そして、アメリカのイラク戦争に反対する者は臆病者
であり、アメリカを支持する東欧の一部を「新しいヨーロッパ」
と呼び、反対するフランスやドイツを「古いヨーロッパ」と呼んで
非難したアメリカ・ラムズフェルド国防長官。

そのラムズフェルド発言に対して、フランスの外相が国連安全保障
理事会で行った演説の一部が上記の発言である。

フランス・ドイツと同様に実は「古いヨーロッパ」であるのに、国連
決議さえ無視してイラク戦争に早々に参加を表明したのがイギリス
である。時の首相はトニー・ブレア

アフガン戦争の際にはコーランを熟読し、イスラムを理解しようとし
たブレアもイラク戦争では判断を誤った。何故、ブレアは国連を無視
してまでアメリカと共にイラク戦争に突き進んだのか。

思い描いていたのは世界に覇権を及ぼしていた頃の大英帝国の復活
だった。第二次世界大戦後、世界の中心はヨーロッパからアメリ
に移った。かつて栄華を誇った大英帝国にも昔日の面影はない。

自国の影響力の低下をまざまざと見せつけられたのがサッチャー首相
時代のスエズ危機だった。アメリカの支持が得られずにすごすごと
撤退せざるを得なかった屈辱。

そこからイギリスは、ブレアは学んだ。イギリス一国だけでは再度
ヨーロッパに影響を及ぼすことは出来ない。しかし、アメリカと一緒
であればイギリスは影響力を持った国になれる。

アメリカが「世界の警察官」ならイギリスは「ヨーロッパの警察官」
を目指したのだろうかね。結局はブレア政権の情報操作の失敗や
イラク戦争後の戦後処理の失敗で、政権は徐々に支持率を落として
行く結果になるのだが。

先に読んだカナダのイラク戦争不参加の国際協調主義に対して、一時は
「世界の盟主」であったイギリスは自国第一主義であったのだろうなと
感じた。

アメリカとイギリスが主導したイラク戦争で、サダム・フセインを排除
したイラクがその後どうなったかは本書発行の時点では鮮明ではなかっ
たが、更なる混乱の末、中東全体が混迷を深めているのは報道されて
いると通りだ。

ページ数は少ないが、イラク戦争前後のブレア政権の外交戦略が分析
されている良書だ。「もう一度、世界の中心で輝く日本」を「取り戻す」
なんてことを言っている政治家は、ブレアのイギリスに学んだ方がいい。

そもそも、日本がいつ「世界の中心で輝いた」のかという疑問はあるの
だが。共通するのはイギリスはヨーロッパの一員と思っておらず、日本
はアジアの一員と思っていないところだろうかね。

それでもイギリスは「イラク戦争は間違っていたのではないか」との
検証を長い時間をかけて行ったところが違うのだけれど。