理不尽な現実

東京電力の株主が歴代経営陣に賠償請求を提出するらしい。地震
津波に対する対策を怠って来たから…が理由だとか。

ふ〜ん。減資もされないのに?巨額の賠償金支払いは国の支援でやる
のに?国の支援ってことは国民の税金(←ここ重要)なのに?株主だけ
は損をしないようにってこと?

これまでの経営陣が安全対策を怠って来たというのであれば、原発事故
以前に原発安全神話に疑問を持った株主がどれだけいるのか聞きたいね。

『生涯被告「おっちゃん」の裁判 600円が奪った19年』(曽根英二 平凡社
読了。

容疑は窃盗。金額は600円。45歳で起訴された男性の裁判は、異例の
長期間に亘った。争点になったのは、起訴事実ではない。この男性を
裁けるのか。司法が抱える根本的な問題だった。

支援者や著者が「おっちゃん」と呼ぶ男性は、聾唖者だった。聞こえない。
話せない。そして、戦中戦後の混乱期に生まれ育ったおっちゃんは、文字も
読めず、手話も理解しない。

「黙っていなさいは伝わるが、黙っていてもいいは伝わらない」。そう、黙秘権
が何でるのかが、おっちゃんには伝わらないのだ。被疑者の権利を理解しない
まま、果たして公判は維持出来るのか。

「黙秘権を伝えようとした、だけではすまされない。刑事訴訟法自体果たして
身振り手振りによる通訳を予測したであろうか」

一審の裁判官は公訴棄却の判決を下す。この一審の裁判長が読み上げた
判決文は、まさに名判決であろう。しかし、検察側が控訴、二審では原判決
棄却となる。

裁判が長期したのには、司法が司法を裁くことに二の足を踏んだこともある
のだろうが、最大の問題は日本の司法制度の盲点だった。極限の障害者を
裁くのに、コミュニケーションの手段は確保されているのか。障害を病気や
心神喪失と同列に扱い、「回復の見込みはないとは言えない」と判断出来る
のか。

おっちゃんの裁判は公判停止となり、身分は被告のままだった。一審で弁護に
立ち、最後までおっちゃんの弁護士だった人は公訴棄却を求めて特別抗告まで
活動した。

還暦を越え、被告としての20年近い歳月が流れる。おっちゃんの体は病に
蝕まれていた。やっと「被告」から降りられたのは、亡くなる3カ月前だった。

法の下の平等」。だが、そこから漏れてしまっている人たちが確実に存在
する。おっちゃんの裁判は私たち健常者が、障害を持つ人たちとどう付き
合うかも教えてくれる。

尚、公訴棄却の判決を出した一審の裁判官の判決文中の「「これで審理を
終わりますが、最後に何か述べておきたいことはありませんか」という発問
は、やはり被告人は通じないのである。」は、この裁判官の人間性を伺わ
せる。

多くの人に是非とも読んでもらいたい良書である。おっちゃんこと森本一昭さん、
19年間を被告人として過ごし、1999年12月16日、入院先の病院にて永眠。
いろんなことから解放されたおっちゃんは、どんな思いでるのだろうか。