絶望から救えたかもしれない

収拾がつかなくなってるね、エジプト。ムスリム同胞団が強制的に
解散させられるようだが、そんなことして事態が収まるか?

どうなっちゃんだろうな。

永山則夫 封印された鑑定記録』(堀川恵子 岩波書店)読了。

1968年に起きた19歳の少年による連続射殺事件。犯人・永山
則夫の裁判は一審で死刑、二審で無期、最高裁差し戻し審で
死刑確定。

犯行動機は貧困が原因の金銭目当て。しかし、永山本人は動機に
ついては詳しく語ることなく1997年8月1日、東京拘置所で刑場で
命を終わられた。19歳だった少年は48歳になっていた。

永山裁判について調査しているうちに、著者が出会ったのが精神
鑑定書である。一審の際にも精神鑑定が行われていたが、その
内容は警察や検察の取調調書をなぞっただけ。そして、二審まで
に行われたのが本書が取り上げる石川鑑定だ。

白羽の矢が立ったのは八王子医療刑務所で受刑者の治療に
あたっていた石川義博医師。しかし、石川医師も当初は鑑定を
断っている。

それの石川医師の心を動かしたのは最初の鑑定書にあった
一文だった。永山が極度の貧困の中で育ち、その育成歴が
犯行に走った原因でもあるとは触れられいるものの内容の
分析がなされていない。

「影響は少なくない」。そう書かれた部分を石川医師は赤線で
囲む。「なぜ、とりあげないのか」との書き込みを添えて。

8か月に及ぶ永山との面接は、鑑定よりもカウンセリングの手法
が取られた。その録音テープは永山亡き後も石川医師の手元に
保存されていた。

苦悶の叫びだった。それまで誰にも心の内を明かさなっか永山が、
徐々に石川医師に対して自分の気持ちを語っていく。自分を無視
し続けた母のこと、母に代わって長屋なの面倒を見てくれた長女
のこと、末の弟を蔑んで来た兄たちのこと。

金目当ての犯行ではなかった。東京と京都の事件は恐怖から、
函館と名古屋の事件は自分を顧みなかった母と兄弟に対する
「当てつけ」だった。

だからと言って、人を殺めていいことにはならないが肉親の愛情
や社会的関係を作り上げられなかった人間の哀しみが詰まって
いる。

二審は石川鑑定によって「精神的に成熟していない」とされたこと
もあったのか、一審の死刑判決から無期懲役の判決が出た。

だが、最高裁差し戻し審では石川鑑定は無視され死刑判決。以降、
この鑑定書が世に出ることはなかった。

それは、4人を殺害した犯人に死刑以外の判決を下すことに躊躇
した司法の判断もあったろう。永山自身が「自分の鑑定じゃない
みたいだ」と言ったこともあるのだろう。石川医師が永山の鑑定後、
鑑定医を辞め、マスコミにも一切出なかったこともあるのだろう。

今回、詳細な取材に基づきこの事件に新たな光を当てた著者の
力作である。圧倒的な事実とは、本書のようなことを言うのだろう。

尚、石川医師は開業医として心を患った人たちの治療にあたって
いる。その机の上には鑑定の最終日に撮影した永山則夫の写真
がカードケースに入れられ飾られている。裏側には、「おふくろは
3回、俺を捨てた」と永山に言われた母の写真が入れられている。