自己責任論の発信源だったのか

『私を通りすぎた政治家たち』(佐々淳行 文藝春秋)読了。

危機管理のエキスパート・佐々淳行氏が亡くなったのは2018年。
本書は亡くなる4年前の発行だ。これまでも佐々氏の作品はいく
つか読んだが、本書からは「佐々氏も老いたんだな」との印象
が強かった。

冒頭の佐々家3代の系譜は興味深いのだが、それ以降の戦後日本の
政治家についての論評は、論評に名を借りた自分語りでしかない。

佐々氏は言う、政治家はノブレス・オブリージュでなければならない。
それを基本にして政治家を論評しているのだが、岸信介にはじまって
小泉進次郎まで、そんな政治家いるかぁ?という感じだ。

日本でノブレス・オブリージュを体現されているのは天皇皇后両陛下
に代表される皇室の方々だけではないだろうか。多かれ少なかれ、
政治家は私利私欲で動いているとしか思えないし、責任など感じて
いる人はごく稀なのではなか。

福島第一原子力発電所事故の際の民主党政権の対応はボロクソに書いて
いるのに、JCO臨界事故の際、事故対応より組閣を優先した小渕恵三
の項ではまったく触れずに持ち上げまくり。

毎度おなじみ危機管理のお話でも同様。危機管理のエキスパートとして
海外にも「人を殺さない警備」を助言しているのだが、樺美智子さんの
死に関してはなかったことか?

佐々氏も都合の悪いことは「なかったこと」にしたいのだな。やっぱり
官僚は官僚体質を抜けきれないのか。

あさま山荘事件安田講堂事件、よど号ハイジャックなどに関する著作
では参考になることも多かったが、本書は駄本の類かな。

ただ、ひとつだけ収穫がある。2004年に邦人3人がイラクで人質にされ
た時、時の小泉政権に「人質3人の行動は自己責任を問うことを原則と
する」と助言していたとの話。

「時の政権に対して、自分はこれだけの影響力があった」との自慢話と
して記したのかもしれないが、これが近年日本に蔓延している自己責任
論の発生源だったんだな。

死者に鞭打つことはしたくはないが、この助言だけで私の中の佐々氏へ
の評価は大暴落なのである。