反骨、平和主義者、そして岸信介信者

日本のメディアはそろそろ正男さん殺害事件から離れてはどう
だろうか。進展がないのだからさ。あ、マレーシアと北朝鮮
揉めているけど。

テレビ東京が特集を組んだように、例の国有地取得に問題の
ある小学校の件を掘り起さないか?

『安倍三代』(青木理 朝日新聞出版)読了。

安倍晋三のルーツは山口県大津郡日置村蔵小田、現在の山口県
長門市油谷蔵小田にある。しかし、安倍晋三自身が口にするのは
母方の祖父・岸信介に関することが多い。

「私は安倍晋太郎の息子だが、岸信介のDNAを受け継いだ」

「昭和の妖怪」と呼ばれる政治家については没して以降も研究が
続けられている。それだけ政治家としてのスケールも、存在感も
大きい。

では、「安倍家のDNA」はどこへ行ったのか。本書は安倍晋三
父方の祖父である安倍寛(「ひろし」ではなく「かん」)からの安倍家
のルーツを辿る。雑誌「AERA」連載の記事に加筆した作品だ。

この寛氏が途轍もなく凄い。寒村の素封家に生まれ東京帝国大学
を卒業し、政治家を志し、その資金を稼ごうと起業するものの関東
大震災によって打撃を受け、故郷の村に戻る。

結核から脊椎カリエスを発症しながらも、村民の強い要望により
病床に就きながらも村長に就任。そして、村長を兼務しながら国政
に打って出る。

特に戦中の1942年に行われた選挙が圧巻。既に日本の政治は軍
部に独占され、大政翼賛会が幅を利かせていた時代だ。選挙自体も
翼賛選挙と言われ、翼賛協議会の推薦候補以外には憲兵特高
目を光らせていた。

その選挙に非推薦で立候補し、当選した数少ない議員のひとりが
寛氏である。この時、やはり非推薦で当選しているのが三木武夫
がいる。

金権腐敗を糾弾し、軍閥のやりたい放題を批判し、戦争に反対し、
早期の戦争終結を主張した人である。満州国を「私が設計した」
と豪語し、敗戦が色濃くなると戦争責任回避の為に東条英機
反旗を翻した岸信介とは正反対に位置する政治家だった。

なのに、安倍晋三には岸信介のDNAを受け継いでいるらしいのだ。
それは、寛氏が晋三誕生の遥か前に亡くなっており、地元での活動
に忙しい両親に替わり、母方の祖父である岸信介が遊び相手になっ
てくれたのもあるのかもしれない。

だが、安倍晋三の父である晋太郎氏は「俺の親父はエライ人で」や
「俺は岸信介の女婿ではない。安倍寛の息子だ」と言っていたの
だけれど、そこは安倍晋三のなかでは「なかったこと」になっている
のだろうか。

晋太郎氏には戦争体験があり、終戦が遅れていれば特攻で命を
落としていた可能性もあったという。だからこそ、平和主義者であっ
たのだろう。この父方のDNAを受け継いでいたのなら、今の政権
はどうなっていたかを考えてしまう。

本書は祖父・寛、父・晋太郎、息子・晋三の生い立ちを章を分けて
書かれており、晋三の章を描く筆はかなり辛辣でもある。著者では
ないが、大学卒業後、社会人になってからも政治的な思想は抱えて
いなかった晋三が、何故、岸信介に依存するようになったのかは
大いなる疑問である。

やはり政治家になってから岸信介を知る先輩政治家から「岸先生
はすごかった」と刷り込まれたのかな。

尚、父・晋太郎氏の章で彼の異父弟であり日本興業銀行の頭取を
務めた西村正雄氏が亡くなる前に雑誌に発表した論文が掲載され
ているのだが、この内容が甥である晋三への貴重な警告になって
いるのに驚く。読んだかな?晋三は。

「寛さんも晋太郎さんも立派な人だった。だが、晋三は…」

地元の人々の多くがそう口にしたという。地元にも三代目に関しては
危惧を抱く人がいるんだね。おまけに大学で晋三を教えた教授陣も
かなり辛辣な評価を下している。

安倍晋三を評して「安倍首相は岸信介教の熱狂的信徒」と言ったの
は、なかにし礼だった。しかし、いかに心酔してもうわべをなぞった
だけで、非常に薄っぺらい劣化コピーでしかないと思う。

思い出してくれないだろうか。安倍寛のDNAを。