後始末はしなきゃならない

派遣先は年中無休だが、私は今日で仕事納めである。

常連のお客様の何人も今日が仕事納めだったらしく、朝から何人かに
「今年も有難う。良いお年を」との言葉をかけて頂いた。

嫌なこともあるけれど、仕事をしていてお客様からこういう言葉を貰う
のは嬉しいね。

来年も全力でご案内させて頂きますっ!

『全電源喪失の記憶 証言・福島第一原発──1000日の真実』
共同通信社 原発事故取材班/高橋秀樹:編著 祥伝社)読了。

「第1原発署員を英雄視するつもりも、事故対応を美談に仕立てる
考えもない。」

本書の「はじめに」に記されている一文である。だが、内容はこの
文章の正反対に位置する。福島第一原子力発電所の所長だった
吉田昌郎氏の死をプロローグに持って来て、終章はその吉田氏
の葬儀となる。

通信社の記者の手になる新聞連載記事の書籍化なのだが、それに
しては殊更に感傷的な表現が目に付く。

全交流電源喪失後、次々と深刻な事態に見舞われた福島第1原子力
発電所。最悪の事態が予測され、多くの作業員が第2原発等へ退避
した後、現場に留まった人々を「フクシマ50」と呼んで海外メディアが
賞賛した。

暴走する原子炉と運命を共にしようとした人たちがいたのは確かだ。
「残る」と決断した人々の心の中には葛藤もあっただろう。だが、
彼らだけが賞賛に値する訳ではない。

必要最小限の人員を残しての退避が始まる前、第1原発にいた人
たちは東電社員・協力企業を問わず、その時、自分が出来る精一杯
のことをしていた。

だから、第1原発にいた全員が英雄であるとは言わない。

「こういう状況をつくってしまったのは俺たちだ。後始末はしなきゃ
ならない。そうだろう?」。

本書に登場するある人が、退避したいという人物に言った言葉だ
そうだ。そうなのだ。東京電力と言う、自分たちの会社の、安全神話
を広めて来た電力業界の「後始末」をする為に、彼ら・彼女らはそこ
に留まり、出来うる限りのことをした。

これまでにも福島第1原子力発電所の事故を取り上げた作品は
何冊か読んだ。その中でも本書は「感情」を前面に押し出し過ぎの
ように感じた。

だた、これまで知らなかったことも明かされている部分は参考になった。
それは5・6号機の中央制御室に妊娠中の女性操作員がいたことだ。
退避後、彼女が無事に出産したくだりでは安堵した。

そして、第1原発同様に危機的状況にあった第2原発にも指数が割かれ
ていた点もよかった。第2原発の唯一生き残った外部電源を「切っても
いいですか?」って言う本店ってなんだ?そりゃ増田所長も激怒する
わなぁ。

結局、本書を読んでも肝心なことが分からなかったのだよな。メルト
ダウンは早い時期に起きていたけれど、原子炉の暴走が何故、ある
程度のところで止まったのか。

3つの事故調はそれぞれに報告書が出て調査が終了している。廃炉
への作業も着々と進められている。命がけで後始末をしようとした
人たちの努力もあるのだろうが、結局は何が原因で過酷事故が
起こり、何がきっかけで暴走が止まったのか。永遠に不明なのだ
ろうな。