聖慮は平和にあらせられるぞ

ネパールで発生した大地震、刻々と犠牲者が増えている。
水も食料も不足しているようだ。各国から救援部隊が入って
いるようだが、被害の全容はまだ不明だとか。

これ以上、犠牲者が増えませんように。余震も頻発している
らしいので、二次災害が起こりませんように。

昭和天皇「よもの海」の謎』(平山周吉 新潮選書)読了。

「よもの海みなはらからと思ふ世に
               など波風のたちさわぐらむ」

昭和16年9月6日、日米開戦か、回避かを決する御前会議の
終盤。慣例を破って昭和天皇は発言を求めた。そこで読まれた
のが明治天皇日露戦争の際に詠まれた御製だった。

慣例を破ってまで明治天皇の御製を読み上げたのは、外交の
力で日米開戦を回避せよとの昭和天皇の意思表示だった。

しかし、大御心とは反対に日本はアメリカとの戦争に突入して
行く。和平を望んで読み上げたはずの御製は軍部によって
都合よく解釈された。

日本は何故、昭和天皇の思いと裏腹の道を進むことになった
のか。本書は明治天皇の御製の作られた時期、異なる解釈、
戦後の昭和天皇のお言葉までを追って、「よもの海」の変遷を
追っている。

膨大な資料を突き合わせている、その労力は凄い。だが、本書
は「検証」にまでは至っていない。昭和史の謎を解くというよりも、
著者の推測を積み上げているだけなので、「歴史検証」として
よりも「エッセイ」として読んだ方がいいかも。

著者が提示しているのはあくまでも「仮説」なんだよな。軍部が
日米開戦に「よもの海」を利用した証拠がまったくないんだもの。

軍部の動き、側近の思い等、参考になる部分もあるのだけれど、
時々、まったく関連の感じられない話がはさまっているので
読み手としては「これがどこへどうつながるんだぁ」と叫びたく
なった。余計な記述は削ればよかったのに。

ただ、御前会議での「よもの海」があったからこそ、戦後の
訪米でホワイトハウスの前で読まれたお言葉に「両国の
国民は、静けさの、象徴である太平洋に、波風の、立ち
騒いだ、不幸な一時期の、試練に耐え、今日、ゆるぎない、
友好親善の、絆を、築き、上げて、おります。」が含まれ
たのだろう。

先の戦争に対し、昭和天皇には様々な思いがあったこと
だろう。だが、お立場上、それを公に出来なかったのでは
ないか。著者は戦後の記者会見での歯切れの悪さを批判
的に書いているが、言明することは出来なかったのだろう
なと受け止めるわ、私は。

尚、昭和天皇は病の床で御製の遂行を重ねていらっしゃった
というのを初めて知った。有名な御製なので正式に発表された
ものだと思っていたが、違ったようだ。以下がその御製。

「身はいかになるともいくさとどめけり
             ただたふれゆく民をおもひて」