象徴天皇としていかにあるべきか

ユネスコの記憶遺産に日本からシベリア抑留資料と東寺の百合
文書が登録された。

そして、中国からは南京大虐殺の資料が登録されたのだが、これに
日本政府が抗議している。

その抗議の仕方が恥ずかしい。「ユネスコへの拠出金を凍結するぞ」
だって。はぁ…。

明仁天皇と平和主義』(斉藤利彦 朝日新書)読了。

明治天皇大正天皇の時代は知らない。それでも、書籍から得る
おふたりの人物像からは生真面目さを感じた。

それは昭和天皇も同様だ。生真面目に立憲君主であろうとされた。
その生真面目の系譜は今上陛下、明仁天皇にも受け継がれている
のだと思う。

昭和天皇の前半生は現人神であった。敗戦後の人間宣言で象徴天皇
となられたが、今上陛下は即位と同時に象徴天皇になられた初めての
天皇である。

今上陛下の折々のお言葉や、ご高齢になっても皇后陛下と共に慰霊の
旅を続けられるお姿からは平和への強い思いが伝わって来る。

本書は今上陛下の平和への思いがどのように形成されたのかを考察
した作品である。

今上陛下の幼少期は戦争の時代だった。昭和天皇同様、将来は大元帥
になるよう運命づけられた身分でいらっしゃった。しかし、それは日本の
敗戦で大きく変わった。

戦後の成長の過程で大きな影響を与えたのはやはりヴァイニング夫人
小泉信三氏なのだろうな。

ヴァイニング夫人からは自分で考え、行動し、主体性を持つことを。
小泉信三氏からは象徴天皇としての具体的なあり方を。

また、同じように疎開経験を持ち、主体性と活発さを持った美智子皇后
を伴侶にされたことも、現在の今上天皇を支えることになったのだろう。

今上陛下の祈念する平和は、単に戦争のない状態ではない。非戦は
勿論のこと、国民がみな健康であり、生活が安定し、福祉が充実し、
国際親善がなされた、生活全体の平穏と安定の状態だ。

慰霊の旅と共に、大きな自然災害が起こればその被災地に必ず両陛下
がお見舞いされるお姿がある。東日本大震災福島第一原発事故
際には異例のビデオメッセージを発表になられた。

そして、7週連続での避難所・被災地へのご訪問。これぞ常に「国民と
共に」とのおふたりのお考えの体現ではないか。

いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏思へばかなし

サイパン島の「バンザイ・クリフ」で海に飛び込んだ女性たちを思い、
美智子皇后が詠まれた御歌である。両陛下の「国民への共感と
共苦」というお考えは、御製・御歌にも表れている。

大日本帝国憲法下の天皇と在り方と日本国憲法下の天皇の在り方
を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史
で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」

ご結婚50年目の記者会見での今上陛下のお言葉だ。日本国憲法
改憲し、天皇は日本国の元首と書き換えたい人たちは今上陛下
の折々のお言葉を読み返してみるといい。

それがいかに大御心に背いているか分かるから。