いつも心にナンシーを

年に一度の健康診断の日である。派遣先を午前中で早退して向かうは
東京・新橋である。

昼食抜きなので検診後の少々遅めの昼食が楽しみだ。なんといっても
サラリーマンのメッカ・新橋である。とかいいながら、毎回。立ち食いそばで
コロッケそばなんだが。笑。

昼食と並んで新橋を訪れる楽しみは、とある新刊書店に寄ることだ。
だが…ないっ!書店のあった場所にはコンビニエンス・ストアが出来て
いるではないか。

あぁ…サブカルチャー系に強い書店だったのに残念。なので、帰りに
食べたコロッケそばも、心なしか寂しい味がしたよ。

『評伝 ナンシー関「心に一人のナンシーを」』(横田増生 朝日新聞
出版)読了。

山際淳司本田靖春、デイヴィッド・ハルバースタム中島らも。順不同
ではあるが、彼ら物書きの訃報に接した時の衝撃は大きかった。

そんな彼らとは別次元だったのが、消しゴム版画家でコラムニストで
あったナンシー関の急逝だ。

第一報は確か友人からの電話だった。正直、うろたえた。周章狼狽し、
困惑し、度を失い、色を失い、そして右往左往した。ちょっと大袈裟か。

それくらいの超ド級の衝撃だった。「ナンシーがいなかったらテレビが
見られないじゃん」と途方に暮れた。それほどに彼女の書くテレビコラム
を愛していた。

自分の中でどうも座りの悪いタレントがいる。どこがどう座りが悪いのか
分からぬ。それがナンシーのコラムは明快に指摘してくれた。読みながら
何度膝を叩いたことか。

圧倒的で核心を突いたコラムと、消しゴム版画。版画に添えられたひと言
のゆる〜い感じが絶妙の調和を保っていた。

コラムも対談も面白い。そんなナンシー関が逝ってしまって10年目に
評伝が出版された。彼女の突然の死から始まる本書は、両親や妹、
同級生、仕事関係者の証言を多く集め、また、ナンシー自身のコラム
を多数引用して構成されている。

あの独特の視線は早い時期に完成されていたものだったのか。凡人の
私には到底敵わないや、彼女の表現力には。

ただ、この著者じゃなかった方がよかったかもな。以前、大手ネット通販
のアマゾンの倉庫への「潜入ルポ」と銘打った社会科見学ルポを読んだ
のだけれど、その時の物足りなさが本書にもある。

稀なる才能を持ち合わせたナンシー関を描くには、この著者では少々
力不足を感じる。

鳩山由紀夫夫人が日本のファースト・レディになった時、船場吉兆
おかみが記者会見で囁いた時、神田うのが何度も結婚式を挙げた時。
「ナンシーだったらどういう風に書いただろう」と思った。

あぁ、ナンシー。なんであんなに早く死んじまったんだよ〜。ナンシーの
コラムが読みたいっ!モーレツに読みたいっ!!