使う側がシステムに振り回された

『恐怖の2時間18分』(柳田邦男 文春文庫)読了。

技術の発達は私たちに様々な恩恵を与えてくれる。その反面、使う
側の人間が振り回されることも多いのではないか。

本書は1979年3月28日に発生した、アメリカ・スリーマイル島原子力
発電所の事故を再現し、巨大なシステムを運用する際の安全面を考察
している。

ヒューマン・エラーとして片づけてしまっては、巨大事故の本質は
見えてこない。では、何故、ヒューマン・エラーが起きたのか。

そこには最新技術への過度の依存と、その技術が使う側の視点から
構成されたシステムではなかったことが大きい。

重大な危機に直面して、人は平常心を保っているのは難しい。どうに
かこの危機を脱しなければと気持ちは焦る。それなのに、次々と警報音
が鳴り、コントロール・パネルの無数とも思えるランプは点滅を続ける。

冷静になるどころか、鳴り響く警報音や点滅を続けるランプは益々混乱
を招き、今、何が最優先事項であるのかを判断する能力さえ奪う。

恐怖である。スリーマイル島原子力発電所の事故に関しては、たまたま
外部の目が最大の問題点に気付いたからいいようなものの、事故発生時
の運転員たちの目だけであったのなら、危機は侵攻し続けていた可能性
が高い。

「──原発事故においては、目に見えない放射能が相手であり、情報
を正しく理解するには、科学的知識を必要とする。
 ペンシルバニア州では、その後連邦政府の関係機関と連絡して、原発
事故発生時における緊急連絡体制を作り、一九八〇年七月にはじめての
大がかりな緊急連絡訓練を行ったが、それでも必ずしも円滑には行かな
い問題点の残されていることが、明らかになっている。苦い経験をした
ペンシルベニア州でさえ、そういう状態である。日本の関係機関は、
いざというときにうまくやれる自信を持っているのだろうか。」

福島第一原子力発電所の事故を経験した後では、著者のこの問題点の
指摘はまったく考慮されていなかったように感じる。

スリーマイル島原子力発電所の事故も、チェルノブイリ原子力発電所
事故も、原子力推進派は「日本じゃそんな事故は起きるはずはない」と
言って来たのだから。