死もまた、社会奉仕

子供心にもあの大銀杏は格好いいな…と思ったものだ。
昭和の大横綱・輪島が亡くなった。享年70。

ご冥福を祈る。合掌。

山県有朋 愚直な権力者の生涯』(伊藤之雄 文春新書)
読了。

明治以降の近代日本の歴史物をよく読むのだが、どの作品を
読んでも魅力を感じない人物のひとりが山県有朋

薩摩だろうが、長州だろうが、会津だろうが、土佐だろうが、
幕末から明治にかけての激動の時代、それなりに魅力的な人物
が多い。なのに山県有朋については人間的な魅力をまったく感じ
ることが出来ずに今まで来た。

同じ元老でも西園寺公望には非常に惹かれるのだけれどなぁ。

同じ年に同じ歳で亡くなった大隈重信国葬には一般市民だけ
でも約30万人が参列したのに対し、山県有朋国葬には彼が
絶大な権力を振るった陸軍をはじめ、警察や内務省の関係者
ばかりで一般市民の参列はほとんどなかったと言われる。

どれだけ嫌われ者なんだよ。「有朋」なんて名前なのに…。

なので、本書で私の有朋像が変わるかと思って読んでみたの
だが、著者が言う実は優しくて生真面目との有朋像がいまひとつ
ピンと来なかった。

奇兵隊時代は高杉晋作のおまけみたいな存在だし、征韓論の際に
西郷隆盛にもいい顔をしたい、長州の実力者・木戸孝允には
背きたくないでだんまりを決め込むし、後の西南戦争では西郷軍
の力を見くびって苦戦するし、近代日本初の汚職事件・山城屋事件
では絶対に関わりがありそうだしさ。

どうも優柔不断な小心者にしか思えないんだよね、本書を読んでも。

ならば、何故、彼が権力の中枢にいられたのかと考えると、維新の
英湯たちが暗殺されたり病没したりして、次々に世を去ったから
というのが大きいのではないかと感じた。

藩閥政治固執して政党政治を目の敵にするし、言論統制もこの人
だしな。

公式令を、軍令を持って無効化しているところは。やはり後々の昭和
陸軍の暴走の遠因だと思うの。

これまでと違った山県有朋像を描こうとした著者の意図は分からんでも
ない。しかし、やっぱり私は好きになれなかったわ。どうにも「陰湿」
との言葉が思い浮かんでしまうのだもの。

山県有朋が亡くなった時、石橋湛山は「死もまた、社会奉仕」と書いた。
これが私には強烈な印象になっているんだろうな。