昭和はどんどん遠くなる

昭和の生き証人がまたひとり、旅立った。初代内閣安全保障室長・
佐々淳行氏が亡くなった。享年87。

「悲観的に準備し、楽観的に対処せよ」なんて書いていたなぁ。

どうしても警察側の視点になるけれど、氏の著作の何冊かは
未読のまま積んである。読むのが惜しくなって来た。

ご冥福を祈る。合掌。

『昭和恋々 あのころ、こんな暮らしがあった』(山本夏彦/久世
光彦 文春文庫)読了。

昭和生まれである。それも後半以降の生まれなので大正4年生まれ
の夏彦翁と、昭和10年生まれの久世氏の書いていることやふたり
の対談の内容のすべてが「懐かしい」と感じる訳ではない。

それでも子供の頃の思い出の中には「あ、そういえばあったな」
と感じる風物や物が結構あった。

共著ということで第一部の「戦前を見に行く」を夏彦翁が、第二部
「過ぎ行く季節のなかで」を久世氏が担当し、第三部「昭和恋々
記憶のなかの風景」がおふたりの対談との構成になっている。

「戦前を見に行く」の項も書かれたのは平成10年。その頃でも
戦前の建物が残ってたのかと感じた。あれから20年が経過してる
現在、僅かに残っていた戦前のものたちも再開発の波に飲み込まれ、
姿を消しているのだろうな。

子供の頃、何故か蚊帳が好きだった。夏の夜、蚊帳を吊って寝るの
は何か特別な感じがしたし、蚊帳の内側から見る部屋の風景は普段
と違って見えた気がした。

金魚売りは知らないけれど、夜鳴きそばは知っている。テレビドラマ
のお母さん女優はもれなく割烹着を身に着けて常に忙しそうにしていた。

足踏みミシンが上手に使えなくて、それが私の裁縫嫌いのきっかけだ。
尚、電動ミシンは恐くて使えない。あ、それ以前に不器用だとの理由
があったわ。

小学校の裏門すぐにあった駄菓子屋は既になくなって久しい。改築する
前の実家には縁側があったし、裏木戸もあった。

小さな庭があって、季節の花が咲き、外に水場があって、縁側と裏木戸の
ある平屋の一戸建てに住みたい。今じゃ贅沢なのかもしれないな。

おふたりが書かれているエッセイはどれも短文でサクッと読めるが、
どれも余韻を残す名文である。

「うっとりするような美しさには、背中合わせに、消え入るような
儚さが張りついていることを、人生ではじめて教えてくれたのは、
子供の日の花火である。」

短文の中でこんな文章を書かれたらやられるわ。久世氏、上手過ぎ。
それでも向田邦子氏に嫉妬しているというんだから、私の文章なんて
駄文中の駄文じゃないか。シクシク。

路面電車」の項を読んでいて思い出したのだが、東京都はなんで
都電荒川線」を「東京さくらトラム」なんて名称にしちまったの
だろうな。東京に唯一残った路面電車なのに。ブツブツ…。

来年、平成が終わる。昭和はまた遠くなるんだろうな。