過去を隠すための別の名前は使わないでください

『神と悪魔の薬 サリドマイド』(トレント・ステファン/ロック・
ブリンナー 日経BP)読了。

典子は、今」という映画を覚えている。身体障碍者の社会参加を
訴えるドキュメンタリー映画だ。主人公であり、サリドマイド薬禍の
被害者である辻典子さんの姿に衝撃を受けた。

ドイツの製薬会社が開発したサリドマイドは「つわりに効く」「安全な
睡眠薬」として1950年代から1960年代にかけて、世界40カ国以上で
売り出された。

確かに安全ではあった。どんなに大量に服用しても致死量に達せず、
子供が誤って口にしても害はない。

しかし、「完全に安全な薬」ではなかった。服用した人の多くが末梢
神経炎を発症した。それは服用を止めても改善しなかったし、開発し
た製薬会社の社員のひとりに耳のない子供が生まれた。

そうして、世界各地で妊娠中にサリドマイドを服用した妊婦に手足の
欠損した子供が次々に誕生した。

本書ではドイツでのサリドマイドの開発から、胎児への催奇性が問題視
されたドイツ・アメリカ・イギリスを例に、規制当局や議会の動き、
販売元である製薬会社のロビー活動などを綿密に追い、何故、被害が
拡大したのかを突き止めている。

儲かれば多く売りたくなるのが企業なのだよね。売り出した薬の悪影響の
報告を無視して、安全性を強調し、被害を拡大させておきながら被害者か
ら救済を求められれば最小限の賠償で済ませようとする。

薬禍事件にも公害事件にも共通するよな、加害企業側の動きって。儲ける
だけ儲けたら頬かむりだもの。

加害企業側の動きに腹立たしさを感じるのは勿論だが、企業の提灯持ちの
ような論文を発表していた医学者にも医学者にも憤りを感じる。

本書では四肢欠損で生まれ、その後の多くを病院で過ごし、何度もの辛い
手術を繰り返し受けた被害者の例も掲載されている。

胎児への悪影響で使用を見直されたサリドマイドだが、ハンセン病エイズ
一部のがんに効果が認められ、厳しい規制の下で復活することになる。

サリドマイドはずっとサリドマイドと呼んでください。過去を隠すため
の別の名前は使わないでください」

アメリカでサリドマイドが再承認される際に、被害者が訴えた言葉だ。
ある人たちには悪魔の薬、ある人たちには天使の薬。サリドマイド
実に奇妙な薬だ。