国策は無責任と同義語である

人形峠ウラン鉱害裁判 核のゴミのあと始末を求めて』
(土井淑平/小出裕章 批評社)読了。

核燃料サイクル機構の前身が動燃、そのまた前身が原子燃料公社。
この原子燃料公社時代、鳥取県岡山県の県境に位置する人形峠
で発見されたウラン鉱床の採掘が行われた。

アメリカのアイゼンハワー大統領が「Atoms for Peace(平和の為の
原子力」を言い始めてから、日本でもかの中曽根康弘が無理くりに
予算をつけて原子力発電所推進の旗を振った。

原子力発電の推進は国策である。海外からの輸入ウランに頼らず、
国内でウラン鉱石が出ればめっけものである。人形峠のウラン鉱床
には大きな期待がかけられた。

しかし、掘り出されたイラン鉱石は到底、採算に見合うものではな
かった為、採掘は早々に中止された。

原子燃料公社と、その後の動燃が後処理をきちんとしておけば問題
はなかったのだろうが、ウラン鉱石を含む残土を長年放置した為に
地元住民との間に残土撤去を巡っての訴訟が起きるまでになって
しまった。

本書では残土撤去を求めて立ち上がった地元住民や市民団体の動き、
何度も約束を反故にして来た原子燃料公社及び動燃の無責任さを
詳らかにしている。

原子力発電所から出る使用済み核燃料が「出口のゴミ」なら、原子力
発電に使用されるウランは「入口のゴミ」である。出口と入口の違い
はあるが、最終的に「核のゴミ」をどうするかの問題は、未だに先送
りになっているのではないか。

どこの自治体だって「はい、うちが最終処分場を提供します」なんて
言い出さない。仮処処分場の候補地がどうのこうのと言うけれど、
これまでの日本の原子力政策を振り返ると、それが本当に「仮」なの
か、信用できないのだ。

国策企業を相手に残土の全量撤去を求めて闘った人形峠の人たちの
憤りは伝わって来るし、原子燃料公社とそれを引き継いだ動燃の
欺瞞・誤魔化し・データ隠しには呆れるほかない。

本書では片山善博氏が知事になってから鳥取県の全面バックアップを
受けて訴訟が起こされるまでになっているが、2004年に最高裁で撤去
命令が出されている。

ただ、この残土を焼しめたレンガが日本各地に散らばったことが気に
なっている。そういや、ウランを含んだ焼物やガラスもあったよな。
あれって使用しても人体に影響はないのだろうか。