国家の「ため」か。国家の「せい」か

靖国神社が消える日』(宮澤佳廣(元靖国神社禰宜 小学館
読了。

宮司権宮司に次ぐナンバー3の禰宜であった著者による内部告発
の書みたいな煽り文句で売り出したようだが、なんのことはない。
特定の宮司への攻撃の書だった。

国の施設であった戦前と異なり、一宗教法人となった靖国神社は、
時の宮司の考え方でその在り様が変化してしまうことに危惧を抱い
ていた著者の言い分の垂れ流しだ。

本書では首相の公式参拝やら、A級戦犯合祀問題やらが語られているが、
乱暴にまとめてしまうと著者が主張しているのは靖国神社を国に返し、
国家護持に戻すべきだってことらしい。

無理だと思うよ。一応、建前としては政教分離なんだしさ。再度、国の
施設に出来たとして現在の靖国神社宮司の意向に左右されるのと一緒で、
時の首相の意向で変容する可能性はゼロじゃない。

靖国神社に重きを置く政治家ばかりじゃないし、「先の大戦の犠牲者の
慰霊であれば靖国ではなく千鳥ヶ淵へお参りする」という首相が現われ
たら、それこそ「靖国神社が消える日」なのではないだろうか。

ここ数年、終戦の日になると旧日本軍のコスプレをして靖国神社
集う人たちをどのように捉えているのか、著者に聞いてみたい。

「国家に殉じた」と言われれば聞こえはいいだろうが、先の大戦では
誰もが進んで命を落とすのが分かっていて戦場に赴いたのではない
はずなのだよな。

国歌の無謀のせいで、国家に殺された。そんな人たちが多く祀られて
いると思うわ。