地域に根差した書店は絶滅危惧種か

お茶の水女子大をはじめ、いくつかの女子大学がトランスジェンダー
の方に対して受け入れを表明した。

これに対して大ベストセラー作家だった百田尚樹センセイが以下のよう
Twitterで呟いていた。

「よーし、今から受験勉強に挑戦して、2020年にお茶の水女子大学
入学を目指すぞ!」

日本語、理解しているかな?各女子大が受け入れを表明したのは男性の
体に女性の心を持った方であって、レイシストのおっさんではないの
だが…。

『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』(平野義昌 苦楽堂)
読了。

阪神淡路大震災が起きる以前だった。仕事の関係で月に一度、宝塚市
に通っていた。1泊か2泊になるこが多く、空いた時間は自由に使えた。

よく神戸を散策した。書店を見掛ければふらっと立ち寄った。本書の
海文堂書店も、そんな書店のひとつ。多分、2~3回くらいしか訪れて
いないのだがブックカバーが素敵だったのと、海関連の書籍が充実し
ていたことが印象的な書店だった。

仕事をいくつか変わり、箱根の山を越えることもなくなって随分と
経過した頃、神戸在住の友人から海文堂書店閉店の報せが届いた。

本書は書店員の目線で海文堂書店の約100年の歩みとエピソード、
閉店の当日と「その後」が綴られている。

私は数回、ふらりと訪れた客に過ぎないが、本書を読むといかに地域
に根付き、愛された書店だったかが分かる。特に閉店が公表されてか
ら、同店を訪れた幾人もの客が「これからどこで本を買えばいいんだ」
と口にしている。

ふと、思い出したことがある。地元駅前には子供の頃から2件の新刊
書店があった。仮にA書店とB書店とする。売り場面積はB書店の方
が広かったのだが、私のひいきはA書店だった。

小学校高学年の頃、毎月母からもらった千円札を握りしめて図鑑を
1冊ずつ購入するのが楽しみだったし、長じてからは棚を眺めながら
面白そうな本に出会う楽しみを与えてくれた。

そんなA書店は駅前の再開発と共に街から姿を消し、再開発後は
B書店しか残らなかった。海文堂書店の常連客と同様に、私も
思った。「ああ、これからはどこで本に出会えばいいんだろう」
と。

当たり前にずっとそこにあって、これからもあるだろうと思っていた
ものがなくなってしまう寂しさ。きっと、海文堂書店の閉店を惜しんで
足を運んだ人たちも、私と同じような気持ちだったのではないか。

地域に根差した書店は遠くない将来、本当に絶滅してしまうのかも
しれない。本を愛した店員たちがいて、客に愛された書店があった。

こうやって、その足跡が書籍と言う作品として残る書店の方が少ない
のだろうが、きっとどの地域にも、誰にでも、海文堂書店のような
書店の記憶があるのではないかと思った。