絶望の中にも小さな光がある

卑怯だよね、加計孝太郎。「緊急記者会見しまぁす」と発表したの
は始まる2時間前。在京の記者は勿論、間に合わない。在阪の記者は
大阪での地震の取材で大わらわ。

一部、時間に間に合った在京の放送局もあったらしいが、会場に入れ
たのは地元の記者クラブ加盟社のみってさぁ。会見でも何でもないわ。
手心加えてくれるだろう記者を前に、言い訳しただけじゃん。

取り敢えず国会で証言してもらおうか。ご本人も「お待ちしています」
と言ってたのだから。

『マラス 暴力に支配される少年たち』(工藤律子 集英社)読了。

10歳前後でギャング団に入り生き延びるか、断って殺されるかしかの
選択肢しかないとはどんな残酷な世界なのだろうと思う。

長年、ストリート・チルドレンの問題にかかわって来た著者が、中米の
小国・ホンジュラスのマラスと呼ばれるギャング団とその問題点を追った
秀逸なルポルタージュだ。

原液のギャングのリーダーに取材出来ていないのは残念だが、元カリスマ
的なリーダーで現在は牧師補佐として刑務所や教会で神の教えを説きなが
ら更生を手助けする男性、ギャング団との関係は保ったままに「他の道も
あるのだ」と訴え続ける「穏やかになったギャング」たち、職業訓練
スポーツの場を提供するNGOの職員などへのインタビューを過不足なく
まとめている。

衝撃だったのは敵対するギャング団に狙われ、不法移民としてメキシコへ
渡った少年の話だ。日本なら小学生から中学生の年齢で命の危機を迎えな
ければならないって…。幸いにも少年は難民認定をされ、メキシコの施設
職業訓練を終え、職を得ることが出来ている。これは救いだった。

年端も行かない子供たちが何故、ギャングの道を選ぶのか。根っこにあるの
はやはり極度の貧困なのだと言う。日々の糧を得るのに精一杯の親は、子供
に気を配ることまで出来ない。

だから、子供たちは居場所を、誰かとの繋がりを求めてギャングの道を
選ぶ。そこには少なくとも仲間がいるからだろう。重大な犯罪に手を染め
れば、「大した奴」として認めてもらえるのだ。

環境が人を作るとはこういうことなのかと思う。ギャング団に入り、犯罪を
重ねる少年たちは特別な存在ではない。置かれた環境さえ違えば、彼らも
穏やかな日常を当たり前に送れたのではないかと思う。

元ギャングや穏やかになったギャング、NGOの支援を受けて、ひとりでも
多くの少年たちが「頼れる大人」がいることを知り、犯罪まみれの日常か
ら脱出できるよう祈りたい。

ホンジュラス政府の対マラス対策の酷さも相まって、読み進むうちに暗澹
たる気持ちになるが、小さいながらも光はあるのだもの。

そうして、貧富の格差の拡大は、他国だけの問題ではないのだから。