国境もイデオロギーも超えて

大阪で震度6弱地震である。通学途中の小学生の女の子が
倒れて来た塀の下敷きになって亡くなったほか、死者2名。
怪我をした人も200名を超えた。

私は東京都内で仕事中でもあり、地震発生はまったく分からな
かったのだが、何人かのお客様から関西方面の情報は何か分かる
かと問われて初めて大きな地震があったことを知った。

今後、余震なども心配される。今以上に被害が広がらないことを
祈る。

チェルノブイリ──アメリカ人医師の体験』(R.P.ゲイル/
T.ハウザー  岩波現代文庫)読了。

元々は岩波新書で上下巻で発行されていたらしいが、福島第一原子力
発電所を事故を受けて、岩波現代文庫で復刊した。

1986年4月26日、ソ連(当時)のチェルノブイリ原子力発電所で起きた
事故は世界に衝撃をもたらした。未だソ連政府が正式な会見を行う以前、
事故からわずか6日後にモスクワ入りしたアメリカ人医師の手記だ。

ソ連にパイプがあった訳でもない著者は、原発事故の報を聞き骨髄移植
専門医として被曝した人々に骨髄移植が必要になることを確信して現地
での医療活動が行えるよう動き出している。

ソ連ゴルバチョフが登場していた当時でも、東西冷戦は解消されて
いたのではない。それでも、医療従事者として求められるであろうこ
とを予期し、早々に準備を行っていたことに感銘を受ける。

深刻な事故により人命が危機に直面していれば、国境も、イデオロギー
も飛び越えてしまうのだよな。それが、医療従事者としての熱意であり、
使命なのだろう。

原子力発電の仕組みも分かりやすく書かれており、ソ連側の医療従事者
との交流、ゴルバチョフ書記長との会談の様子なども興味深い。

ただ、被曝者の治療の様子についてはそれほど綿密に描かれていない
ので、その点では少々肩透かしだった。

日本は、スリーマイル島の時も、チェルノブイリの時も「対岸の火事」と
捉えていなかっただろうかと思う。福島第一原子力発電所チェルノブイリ
の事故と同じ「レベル7」と評価されている。

幸いと言っていいのか分からないが、チェルノブイリ原発事故の時の初期
消火にあたった消防士たちのように命が朽ちるほどの被曝をした実例は公
にされていないし、骨髄移植が必要になった人がいるとの話も聞かない。

だが、あの時、次々と原子炉建屋が爆発を起こしていたらどうなっていた
だろうかと考える。事態はもっと深刻になり、日本国内の医師たちだけは
治療は困難になっていたのではなだろうか。

福島第一原子力発電所の事故から既に7年が経過した。歳月と共に事故を
風化させてはいけない。これからもずっと、事故のことを思い返し、学び
続けなければならないと感じた。チェルノブイリ原発の今後は、福島第一
原発の今後でもあると思うから。