沖縄のガンジー、最初の闘い

『米軍と農民─沖縄県伊江島─』(阿波根昌鴻 岩波新書)読了。

沖縄本島から北西に約9kmに位置する伊江島も、沖縄戦の際には
激しい戦場となった。GIたちから愛されたアメリカの従軍記者
アーニー・パイルが日本軍の銃弾に倒れたのも、この島だった。

戦後、アメリカの占領下ではあったが、島の人々は土地を耕し、
作物を植え、やっと平和な日々が訪れたかに思えた。

しかし、平穏な生活はアメリカ軍の一方的な通告によって壊される。
飛行場と演習場を作るので立ち退け。苦労して開墾した土地を取り
上げる替わりに、石だらけの荒れ地をあげよう。

地代もススメの涙、無惨に荒らされた作物の補償はないに等しい。
そんな条件など飲めるはずもなく、島の人たちは武力と政治力を
誇示するアメリカに立ち向かった。

その中心となったのが本書の著者であり、後に「沖縄のガンジー」と
称されることとなる阿波根氏だ。

アメリカ軍と沖縄政府に何度も陳情に出向き、沖縄本島伊江島
窮状を訴える為に「乞食行進」を行う。

アメリカ軍が勝手に杭を打って「米人以外、立ち入り禁止」の看板を
掲げれば、それを取り外す。替わりに地主たちの主張を書いた看板
を掲げ直す。

土地の強制接収に反対の声を上げる人々に対し、アメリカ軍が時に暴力
に訴え、難癖をつけて裁判所に引き渡したりもするが、住民側は徹底し
て非暴力で対する。

短気を起こすな、相手を敬え。著者たちの反対運動の根底にあるものだ。
それだからこそ、運動は長く継続することが可能だったのかもしれない。

なんの咎もないのに殴られたり蹴られたり、不当逮捕が繰り返されたり
したら「力には力で」となりそうなものなのだが、著者たちの運動の
過程で発せられた言葉の数々はとても深く、考えさせられる。

沖縄のガンジーこと阿波根昌鴻池氏。基地反対運動から、戦争の愚かさ
と平和の尊さを訴え続け、2002年に肺炎の為に亡くなった。彼の最初の
闘いが詳細に綴られた作品だった。