女性だけに罪があるのか

部分的に記憶喪失が治った柳瀬氏だが、はっきり覚えているのは
首相の指示がないことと、首相に報告はしてないこと。

凄いなぁ、首相秘書官ってな〜〜〜んも首相に報告しなくていいんだ。

なんかさ、愛媛県の中村知事が柳瀬氏に反論しているそうだから、
一度、国会で証言してもらたっらいいのではないか?前から国会
で話してもいいって言ってくれているのだから。

マグダレンの祈り』(ジューン・ゴールディング ヴィレッジブクス)
読了。

「ここで私たちがどんなめに遭っていたかを、いつか本に書いて
世間に知られせて欲しい。

50年近い歳月をかけて著者は本書を世に送り出すことで約束を
果たした。

助産婦と看護師の資格を持つ著者は、結核患者の施設看護師から
修道院付属の病院への転職を果たした。夜勤がないこと、そして
何より婚約者が結核感染の可能性を心配してたから。

夜勤は確かになかった。なかったが、夜通し仕事をしなければいけ
ない環境だった。マグダラのマリアにちなんで名付けられたマグダ
レン修道院の病院は、さまざまな理由で未婚のまま身ごもった女性
たちの矯正施設であったのだ。

1951年という時代、そして厳格なカトリックの教え。肉親や教区の
司教によってマグダレンに連れて来られた女性たちは、彼女たちを
支配するシスターの圧倒的な権力と監視の下で、ほとんど人間性
奪われた生活を強いられる。

入所者同士のおしゃべりは厳禁、身重の体だろうが容赦なく課せら
れる重労働、粗末な食事、出産の際には麻酔も使用されず、生みの
苦しみに声を上げれば叱責され、出産時の裂傷さえ縫合することは
許されない。

そして、3年を修道院で過ごした後、子供は養子を求めるアメリカ人
の手に渡り、母子は永遠に離れ離れになる。

母になる喜びを感じるよりも、どんな理由であれ未婚で身ごもったこと
に対する罪悪感を植え付けられた彼女たちは、一様にうつろな表情を
していた。

そこへ赴任した著者は、ある時は厳格過ぎるシスターにささやかな抵抗を
見せながら、収容者たちに寄り添い、出産の世話をし、彼女たちの話に
耳を傾ける。

著者が結婚により修道院を去るまで、そこに収容されていた女性たちに
とっては著者の存在が唯一の希望だったようだ。

堕胎を許さないカトリックこその厳格さなのかもしれないが、未婚のまま
母になる女性に対しては本書で描かれているほどではないだろうが、今
でも偏見や差別は存在する。

だが、本書に書かれている内容はあまりにも生々しく、悪寒さえ感じた。
何故、思いがけない妊娠をしただけで女性だけが責めを負わなければなら
ないのだろうと思う。相手の男性の生活は、何にも変わらないのに。

唯一、救いだったのは子供と共に修道院を脱走し、人間性を取り戻した
女性もいたことだ。

名前は修道院。だが、実際には強制労働施設のようだったマグダレン
修道院は1996年まで運営されていた。