チェスの神様に絡めとられて

『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』
(フランク・ブレイディー 文春文庫)読了。

6歳の時、姉が買い与えた1ドルのチェス・セットが彼のその後の
人生を決めたのか。

ボビー・フィッシャー。若くしてチェスの才能を開花させ、東西冷戦の
時代に歴代世界チャンピオンの座を独占していたソ連からその座を奪い、
アメリカ国内に一大チェス・ブームを起こした稀代の天才。

本書はフィッシャーを直接知る著者による詳細な評伝だ。

天才と言うのは本人が積み重ねた多大な努力によって作られるものなの
なのだろう。フィッシャーも多くの時間をチェスに割き、世界のトップ
に君臨するのだが、その才能を無にしてしまうような問題行動も多い。

金銭への執着は貧しかった幼い頃のトラウマなのだろうが、引退と復帰
を繰り返したことや、自分の思い通りにならないと感情が爆発する様子
は、何かしらの心の問題を抱えていたのではないかと思わせる。

それでも、チェス界は彼が戻って来るのを待っていた。傍若無人とも
思える振る舞いをしても、彼を愛したチェス仲間もいた。

だが、フィッシャーは長い長い隠遁生活の後、日本から出国しようと
して入国管理法違反の疑いで身柄を拘束される。この時も彼を支援
する人々が八方手を尽くし、アイスランドが彼を受け入れることに
なった。

このアイスランドが、フィッシャーの終焉の地となる。奇矯と映る
振る舞いと辛辣な言葉、他を寄せ付けないチェスの才能を持った男は
その死後に遺産相続の問題を残してアイスランドの地に眠っている。

面倒な天才だったんだなと思う。それでもチェスの神様は彼を愛した。
そして、1972年の対局でフィッシャーに世界チャンピオンの座を奪わ
れたボリス・スパスキーは彼の訃報に触れ「私の弟が死んだ」との最大級
の哀しみを記したメールを知人に送った。

フィッシャーを知る著者ではあるが、美談仕立てではなくフィッシャー
が引き起こした数々のトラブルも丁寧に描いており、チェスが分からな
くても十分に楽しめる評伝だった。

でも、でも…。フィッシャーのような知り合いがいたら嫌かも。