文字は書かなければ退化する

評論家の西部邁が亡くなった。年齢的に病気か?と思ったんだけど
多摩川に入水自殺だとか。

遺書が残されてるらしいが、一体、どうしたんだ?西部邁
ご冥福を祈る。合掌。

『字が汚い!』(新保信長 文藝春秋)読了。

「喧嘩売ってんのか、あぁん?」。新刊書店の棚に面出しで並べられて
いた本書にメンチを切る。そうか、そうか。売られた喧嘩なら買わねば
なるまい。まぁ、買ったのは本なんだけどね。

悪筆なのである。我が埼玉県は硬筆教育に情熱を注いでいるので、小学生
の頃は習字の時間以外に硬筆の時間もあった。すでに小学生でも整った
字を書いていた同級生もいたが、自分の書いた字にうんざりしていたの
はこの頃からだ。

年齢を重ねれば字だって上達するはず。そう、本書の著者と同じように
考えていた訳よ。でも、一向に上手くなんかならなかった。

本書では著者が市販の美文字練習帳やペン字教室に通い、著者自身が
「味のある字」と感じる人に話を聞いて、綺麗でなくても大人っぽい
字を書こうと努力する様子、書き文字の変遷なども記されている。

と、書くと少々硬そうだが文章は非常に砕けている。「〇〇っすか」の
頻発には閉口したけどね。大人っぽい字より、大人っぽい文章を書こう
よ…と、余計なお世話な突っ込みをしてみた。

肝心の書き文字の上達のコツだが、自分が書きたいと思う字を常に
イメージすることってことなんだが、多分、これだけではない気が
する。

ワープロやパソコンの普及で、手書きで文字を書く機会が減っている
からじゃないのかなと思うんだ。

これは自分の経験からなのだが、また手書きで原稿を書いていた編集
事務所勤務時代は締め切り時間に追われて原稿を書き殴っていても
今より整った字を書いていたもの。

専門学校時代だって、写植見本帳の文字を真似して書いて講義のノート
もその時々で違う書体で書けてたんだよな。

書かなきゃ文字は退化するんじゃないだろうか。現在、手書きで文字を
書くのは日課になっている「天声人語」を書き写す時くらいだもの。
それも書き終わって唖然とするくらいの汚さ。

なので、仕事中に取っているメモなんて目も当てられない。自分で書いて
自分で読めないってなんだよ。特に数字の「0」と「6」が判別できない
ことが多い。

ペンを手にして字を書く時間を増やさないとなぁ。何事も練習ってこと
だわ。

そして本書を読み終わって自分が書きたい文字がイメージ出来た。ゲバ
字である。

そう、「〇〇断固反対」なんて書いてあった学生運動華やかなりし頃に
立て看板でよく見かけたあの文字。

でも『ゲバ字練習帳』なんて出てないよな。あ、全学連とか中核派
事務所に習いに行けばいいのか?「すいません、ゲバ字を綺麗に書きたい
ので教えて下さい」って。

その前に「正しいヘルメットとタオルの使い方」とか「ゲバ棒の応用の
仕方」とか教えられちゃうのかな。それはそれで、楽しいような気がする。