いつかは消えてしまう文化なのか

語るなく重きを負(お)ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ

1月12日の「歌会始の儀」で披露された皇后陛下の御歌である。
じ〜〜〜〜んと来た。(ノД`)・゜・。

『聖なる木の下へ アメリカインディアンの魂を求めて』
(阿部珠理 角川ソフィア文庫)読了。

「おお、やっとインドに到達したぞ」というコロンブスの勘違いから
新大陸の先住民は「インディアン」と呼ばれるようになった。

やっぱりコロンブスの罪は重い。

本書はアメリカ先住民のなかでもナバホ族に次ぐ規模を持つラコタ
の保留地で行った著者のフィールドワークをまとめた『アメリカ先住民
の精神世界』の文庫版である。

白人たちの暴虐に関しては今更言うまでもない。先住民たちには多く
の助けを得たのに、誰の土地でもなかったところを柵で囲い、約束
した保留地さえも徐々に狭めて行ったのだから。これを「恩を仇で
返す」っ言うんだろうな。

狭い保留地に押し込められ、食糧だったバッファローを狩ることも
出来なくったラコタ族だが、白人が渡って来る前から続く伝統の
儀式は今でも受け継がれている。

ただ、一部ではその儀式を現金収入の手段としている人たちもいるとか
で賛否両論があるそうだ。

ラコタ族に限らず、先住民の保留地では高い失業率と貧困が問題になって
いる。だから…という訳でもないのだろうが、自然を精霊として崇め、
聖なるものとしてきた部族の伝統が現金収入と結びついてしまっても
仕方ないのかなとも思う。

著者は多くのラコタ族の人々と交流し、彼らの歴史に触れながら実際に
保留地で行われているいくつかの儀式に参加し、文字を持たなかった
ラコタ族が代々受け継いできた思想を解き明かしている。

驚いたのはラコタ族には男性でも女性でもない存在が認められている
ことだった。両性具有なのではない。本来は男性なのだ。だが、彼ら
は男性の役目とされた戦いや狩りの資質がないことを自覚し、早々に
女性たちのように料理や裁縫といった仕事に従事した。

勇敢であることが男性として賛美される部族にあって、そうでない者で
も排除せずに共同体のなかで生きて行けるような仕組みなんだな。

単行本発行は1994年と少々古いので「文庫版あとがき」で著者が触れ
ている保留地の崩壊が進んでいるとの一文が気になった。

アメリカ先住民の文化も、いつか消滅してしまうのだろうかね。