サッカーを通してみるバルカンの火薬庫

北朝鮮は、今や(エストニアの首都)タリンを射程に入れる弾道
ミサイルを発射するなど、欧州にとって重大な脅威であります」

「行ったことがないから」というふざけた理由でバルト3国と東欧を
物見遊山に行った安倍晋三が、エストニアでこんな嘘を吐いていた。

「我々のミサイルはアメリカを狙っている」って南北会談で北朝鮮
人が言ってたのになぁ。外交の場でまで嘘を吐くのはやめましょう。

『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』(木村元彦 集英社文庫
読了。

サッカーはよく分からない。ルールは知っているし、日本リーグの頃は
閑古鳥鳴く国立競技場にさえ行った。でも、Jリーグになった最初の1年
だけは試合の結果も追っていたが、諸事情によりサッカー観戦を止めた。

ストイコビッチをはじめ、ユーゴ出身のサッカー選手は辛うじて名前を
知っているくらいだ。だから、本書は読み通せるか不安だった。

案じることはなかった。多分、まったくサッカーを知らなくても読める。
副題に「ユーゴスラビアサッカー戦史」とあるように、旧ユーゴスラビア
全土をくまなく回り、選手や協会関係者、サポーターに取材し、試合の
経過も記されている。

それでも、本書を貫いているのはユーゴスラビアの現代史である。それも
世界中から「悪者」のレッテルを貼られたセルビア人への強い思い入れを
感じる。

第二次世界大戦ナチスソ連、連合国を相手にユーゴスラビア独立を
成し遂げたチトー大統領の圧倒的なカリスマで維持していたような国だ。
民族主義を厳しく禁止したチトーの死、東西冷戦の終結と続けばユーゴ
の崩壊は当然の結果だったのかもしれない。

そのなかで、何故、セルビアだけが「悪者」にされたのかは『ドキュメント
戦争広告代理店』(高木徹)に詳しく書かれている。

スポーツと政治は別物なんてのは綺麗ごとなんだと思う。有能なスポーツ
選手だろうが否応なしに政治に絡めとられて行くことがある。それを本書
は丹念に描いている。

NATO STOP STRIKES」

本書のカバーにも使用されているストイコビッチの写真。名古屋グランパス
のユニフォームの下に着ていたTシャツの胸に、何故、この言葉が書かれて
いたのかが記されている場面では思いがけず泣かされた。

絶対的な悪者は生まれない。絶対的な悪者は作られるのだ。著者は言う。
その通りだと思う。

一方的に流されるプロパガンダに染まる前に立ち止まらなければならない。
ユーゴスラビアの問題のすべてをセルビアだけに負わせていいはずが
ないのだ。

本書は1998年から2001年までをストイコビッチを中心にしたサッカーと
いうスポーツに視点を置きながらユーゴスラビアを描いているが、その
ユーゴスラビアも2003年には消滅した。

七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、
二つの文字、一つの国家。そして、バルカンの火薬庫と呼ばれた国は
地図上から消えた。それでも、セルビア人に貼られた「悪者」のレッテル
は歴史上でつきまとうのかもしれない。