過去を暴く必要があるのか

バカですか、我が国は。生活保護費を下回る収入を引き上げる
という考えはないのか。

お偉い官僚様や国会議員のセンセイたちは半年ぐらい生活保護費分
だけで生活してみりゃいいのよ。

袴田事件を裁いた男 無実を確信しながら死刑判決分を書いた元判事
の転落と再生の四十六年』(尾形誠規 朝日文庫)読了。

1966年、静岡県清水市の味噌製造会社専務宅で発生した強盗殺人事件は、
2年後の1968年に静岡地裁で被疑者とされた袴田巌氏に対して死刑判決
を下した。

「私はやっていません」。公判で一貫して無罪を主張する袴田氏に対し、
3人の裁判官うちのひとりであった熊本典道氏は無罪を確信していた。
しかし、合議の間にも残り二人の裁判官を説得することが出来ず、無罪
であろうと感じた袴田氏の死刑判決文を書く役目を負わされた。

公判後、裁判官の職を辞した熊本氏が突然に公の場で袴田氏の無罪を
主張したのはあの判決文を書いてから約40年後のことであった。

裁判官には退任後にも守秘義務が課せられる。それを破ってまで声を
上げた点だけでも熊本氏を評価していいではないかと思う。

だから、著者のように一私人となった熊本氏の過去をほじくり出すこと
は必要だったのだろうかと疑問に感じるのだ。

自身が係わった袴田事件に関しての発言を、美談と受け取るかどうかは
人によって違うのだろうし、裁判官を辞めた後、ホームレス寸前まで
行った熊本氏の境遇には様々な要因があるのだろう。だからと言って、
袴田事件の公判がまったく影響を与えていないとは言い切れないので
はないか。

前立腺がんの治療の影響で高齢者特有の症状が出ている熊本氏から、
著者が聞きたいと思ったであろう肝心な部分はほとんど聞けていない。
取材対象に迫れずに周囲をぐるぐると回っているだけの印象を受けた。

取材対象に迫れなくても、書き方が違えばもっと違った印象を受けた
のかもしれない。著者の感情を抑えてくれればよかったのにと思う。

尚、ジャーナリストの江川紹子氏の解説には冤罪事件に対する静かな
怒りに満ちていた。本文よりもこの解説の方がよかった。